行って参りました。
いつもより壮年の男が多かったような?
肉筆画の山本藤信の「やつし股野石投げ」は男が石を投げるお話を、女性が崖の上から優男に巨大盃を投げる図に変えたもので、現代のシューティングゲームですとかで、こういう感じのがありますかね!?
奥村政信の「団十郎・高尾・志道軒円相図」は当時流行の三人を一緒に描いた絵で、志道軒の魑魅魍魎とした感じが効いています。
鳥文斎栄之の「蛤美人 太夫図・吉原堤図・禿図」は蜃気楼の語源の蛤がひたすら夢を吐き続けるのですが、出てくるのは全て吉原の情景。胸に迫る名品です。
二代喜多川歌麿の「花魁図」は顔の大きさが、どことなくリアルなバランスです。
鳥文斎栄之の「若旦那発模様 扇屋瀧橋」は題名にしても絵にしても湖龍斎そのもので、そういうところからも影響を受けているんですねぇ。背景の金色が豪華。栄之の絵は浮世絵師の中では直立した格好が多い人だと思うんですが、すらりとした棒立ちの中に美しさがあります。
勝川春扇の「二川 よしだへーり 五拾五枚続之内」は名前の通り背景が扇形。
歌川国貞の「浮世名異女図会 浪花新町 大夫」は女性が体育座りの様な格好をしているんですが、関節が柔らかいことに、足首が内側を向いていて、そこにしどけない色気が薫ります。
渓斎英泉の「浮世姿吉原大全 初回の床 仲の町の桜」は何気無い調度品が美しい作品。画題についての解説によると、最近の学説では吉原に三回通うと馴染みになる、というシステムに疑問が提出されているらしく、こんな有名な仕組みにまで見直しがきているとは、なんのこっちゃ。
江戸時代の本を読んでいると、あっちの本ではこちらの本の真逆の事を書いている、ということがありふれていて、難しいです。出版社が威信をかけて出す通史ものなら、ある程度の信頼が置けるのではないか、と思ってみてみると、特に時代の空気・民俗的なことに関してはクリティカルな記述が避けられている印象で、確定的でないのが本当なのかもしれませんね。ただ江戸時代は本音と建前が複雑に入り組んでいて、深く入っていかないと良く解らない、ということは確かなようです。
学説といえば松浦玲さんの「勝海舟」という本を立ち読みしたら、勝海舟全集の杜撰さからはじまって、各種の論文・資料を撫で斬りにしていて、日本の学術の立脚点とはかくも儚いものかと実感。
東洋文庫に入っている○○は原典を読んだのかと思うほどでたらめばかり、とか何を信用して読めと(笑)
勝海舟の日記すら記録ミスが多く、それを整理している間に鬱になってしまったのだそうです。征韓論に関しては、学術文庫の当該の勝の強弁にもう少し注を付けて欲しかったです。
そんななか、例の鉄舟・海舟のシリーズについては触れられてすらおらず、なんのこっちゃと思ったのですが、横の半藤一利さんの海舟伝を手に取ったら、さらっと引用されていて、またなんのこっちゃと思いました。
歌川国芳の「三界愛度図会 えりをぬきたい」は、いなせな女性の後姿に、国芳が好きな猫が可愛らしいです。アナウンサーの住吉さんは、体型はすらっとしているのに、ぽよぽよしている印象があって不思議なのですが、きっとぬこから可愛らしさを吸収しているんじゃないかと思うんですよね。国芳もそんな感じで、猫から学ぶ所もあったのかもしれませんね。
三代歌川豊国の「今様三十二相 手があり相」は文を持って、何か手練手管の策がありそうな雰囲気の女性。今でいう小悪魔といった感じなのでしょうか!?
鳥居清満の「梅やしき」はぽってりとした群集図で、北尾派の画風を思い起こさせるかもしれません。
歌川国政の「亥の顔見世」は早逝の作家の恐らく珍品。九つに切り離してカードのようにして遊ぶ絵のだそうですが、小さな絵に国政特有のインパクトが織り込まれています。
歌川国周の「見立昼夜廿四時之内」は明治23年の作品ですが、既にとげとげしていて、何かおどろおどろしいですね。
香蝶楼豊斎の「名優九代目市川団十郎」は一蝶以来の?伝統的な涅槃図で圓朝・国周・黙阿弥といった面々がお迎えに来ています。
歌舞伎は日本が世界に誇る文化ですけど、この前歌舞伎座に行ったら文化に参加しませんか、といった感じでチラシでシナリオを募集していたんですよね。歌舞伎は自らを文化だとしない所に傾く歌舞伎性があるわけで、自らを文化とする歌舞伎は最早文化ではないのではないだろうか。そんなことを九代目の事を思い出すにつけ感じます。
まったく関係ないんですけど、仏教では悟りを開いている人はその自覚があるのか、というのが良く上る話題で、初期経典では「わが心は従順であり、解脱している。」(ブッダのことば 15ページ)とあるので、お釈迦さんは自覚していたようです。一方大乗経典の金剛般若経(岩波文庫 65ページ辺り)によると、自分では解らないらしく、老子の34章や38章にも、同じ様なことが書いてあります。また、盤珪・白隠といった江戸時代の名僧は、お釈迦さんでも今の自分の境地は解らないだろう、といったことをいっているので、自覚があったようです。
主に金剛般若経のは心が二つに分かれる以前のなんたらかんたら、という論理の突き詰まったものでしょう。
自覚の仕方に客観的なものと夜郎自大なものがあって、そこら辺が見解の違いに関わっているのかもしれません。
さっきテレビにPUFFYが出ていたんですけど、彼女達が自然体だといわれるのは、自分たちを自然体だとしないからかもしれません。
歌川国貞の「大島村之段」は背景が文字で埋められた美人画。文字を意匠にして用いるのは現代的、とのことで、市川崑監督以降の流れの祖先といえるかも知れません。
いろいろ開発しているんですねぇ。この人が六大浮世絵師から漏れているのは、考えさせられます(笑)
歌川豊国の「江戸両国すゝみの図」は江戸の活気をリアルに伝えてくれます。
作者不詳の中村座辻番付「音菊家怪談」は辻番付というチラシやポスターみたいなものらしく、巨大な鯉と格闘していたり、異様な熱気があります(笑)
広重・国貞・国芳の合作の「張交絵 八犬伝 仙人 河豚と根深」は広重のぽわっとしたふぐが、愛嬌がありました。国貞は「英一たい」と署名していて、一蝶のこの時代への影響の強さを感じさせます。
勝川春好の「三代目坂田半五郎の景清」は彼の創始の役者大首絵。クローズアップしてみせると、役者としての顔と役者自身の顔が二重写しになる所が、味があるところだと思います(笑)
歌川貞秀の「墨利堅国大船之図」は写実的な巨大な大作。六枚続きという異例の大きさでアメリカ船の威容を伝えます。。が実際はイギリス船のようです(^_^;)
結構幕末の蘭学者は冷静といいますか、たとえば緒方洪庵は西洋医学で治るものは西洋医学で治し、漢方が有効なものには漢方を使うという流儀だったようです。それが弟子の代の福沢諭吉になると漢方を激しく攻撃し始めるんですよね。
その違いを生んだのは恐らくこの黒船の威容でしょうし、この間を研究することが、21世紀初頭の日本の務めではないかと思います。
やはりデザインの工夫というのは、美術の中の浮世絵の特徴だと思います。ヴァラエティ豊かな作品群が素晴らしかったです。ありがとうございました。
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