吉田照美さんのラジオでは吉田たかよしさんが解説していて、体罰はそのときにはストレスホルモンが出て集中力が高まるが、長期的にみると、脳が萎縮して創造性が無くなる、という研究結果が出ていて、指導者は常識的に知っているべきことだとのこと。
確かに良く知られた話で、桑田が正面切って否定するのは、こういった科学に裏付けられた知見に支えられているということもあるでしょう。
また、メディアが自分たちは関係ないかのように追及して、嘆いてみせますけど、試合会場などでおおっぴらに殴っていて、国際大会では海外から問題にされたとのこと。体罰の映像もテレビでごろごろ出てきますよね。
それだけではなくライターや記者も知っていたはずだ、ということで、おそらく柔道連盟やその他のスポーツ界と対立することを恐れて見なかったことにしていたのでしょう。
メディアはいうべき事を言わなかったということで、共犯なのです。その反省と共に再発防止策を作って発表するべきだと思います。
このラジオの江川さんですとか、勝利至上主義、といいますけど、他の人達もあわせて、勝利と体罰を結びつけるのは危険で、桑田、落合、佐々木監督等々の発言を引くまでも無く、必ず切り離すべきだとおもいます。
アメリカでもスケートで暴力問題が出ましたけど、やはり悪しきハイカラ趣味であるという認識が非常に重要だと思います。
韓国では暴力を振るったコーチがすぐに更迭されているらしく、日本はこの点でも実に遅れていると思います。
韓国では起立・礼は日本の習慣だとして廃止されたそうで、軍隊でもひどいじめがあったのですが、日本軍の習慣の名残だとして一掃に乗り出していたんですよね。
韓国には日本のものだとして近代の負の遺産を積極的に廃止していく所があって、日本も近代の負を解消して行くという姿勢をしっかりと持って強力に推し進めないと大きく遅れを取る可能性があると思います。
Nスタでは乙武洋匡さんが、違法行為であということはもっと語られるべきだ、といっていましたけど、まったくその通りだと思います。
サンデーモーニングの特集では勝利至上主義が体罰を呼んでいるかのような電波特集で、これが一番危険です。体罰をすると脳が萎縮するのであって、人として能力が下がってしまうのです。短期的にはストレスホルモンが出て気をつけるようになる、ともいいますが、人によってはまったく意欲がなくなってそういう人はスポーツをやめてしまうのではないでしょうか。
こういう否定派を装った肯定報道といいますか、どの分野でも、こういうのが凄く多いんですよね。
関口宏の、ずっと考え続けなければいけない、というのは原発のベストミックス、の様な言葉遣いであって、もう止めてしまえば良いのです。
萱野さんは、体罰があることで真に優秀な人がいなくなってしまう、ということをいっていましたけど、そういう意味では、運動はしたいけど部活動は嫌だ、と思っている人は相当数今までいると感じています。
萱野さんが先生に権威があったというのがもうひとつ、というとここぞとばかりに関口宏が賛意を示しましたけど、これは本当なのかと思います。
むしろ昔の方が先生に言いやすかった、今の方が権威を笠に着たようでいいたい事を言いづらくなっている、という父母の声を聞くんですよね。
昔あったといわれる先生への尊敬とは実際に今と比較してどういう形だったのか、という事をもっとしっかり考えて報道するべきだと思います。
岸井は虐待と家庭の尻叩きをを一緒にする論調で、従わないと代表を外されるかもしれない、という状況でぼこぼこにされるのと一緒にするのは神経を疑います。
現に細かいものまで報道されて、全てごっちゃになって、やっぱり体罰は必要じゃないかという論調に転換していきかねない状況になっていると感じるのでそこはとても注意しなければなりません。
今回女子の柔道の選手は良くやったと思います。メダリストも参加して立派だと思います。
上村春樹が、執行部批判が起こったなら云々、と身体をゆすって答えていましたけど、柔道家なら姿勢を正して正面から受け止めてもらいたいと思います。はっきり思ったことをいえば、風体が胡散臭くなっていて、相撲協会の人間のようで、今回の報道で上村をみてやや驚きました。
寺島実郎が嘘をつくときの身体のゆすり方・目線で、強化体制は全面的に変わるかもしれない、といっていましたけど、かもしれないではなくて、しなくてはならないと決意を表明しなければなりません。
針のむしろの上にいるようだ、ともいっていましたけど、これは選手を気遣ったものではなく自分のことでしょう。他にも聞こえて来るのはオリンピックへの影響を心配するようなコメントばかりで、選手の反対側を向いた、メンツしか眼中に無いのではないでしょうか。こういった感覚はこの前の公共事業の話とかとも感覚が似通っていますよね。
体罰事件で五輪招致はかなり遠のいたのではないかと思います。障害者の年金を取りやめてまではじめた五輪招致ですが、一番大切な基礎ができていなかったという事ではないでしょうか。
お金はばらまけても人間的にはぼろぼろの国の現状が観えてきます。
2月5日のモーニングバードでは女子の理事が少ないという事をやっていて、20パーセントにするという世界的な最低限の目標にも届かない状況とのことで、25人中一番多い体操で5人でした。
柔道は0でこれはずっとそうだとのこと。
そもそも新渡戸稲造の武士道に「アマゾネス」という言葉で紹介されていますけど、女子も武道をする、というのが日本の際立った特徴であって、近世以前の女性のスポーツ文化として匹敵するものを求め難いのではないかと思います。
そういった要素が柔道になってから180度変わって排除されてしまった。これはやはり江戸期の否定である明治の精神にもとづいているからで、これを全面的に改革しなければなりません。
柔道協会の正しい選択のひとつは、トップを山口香さんにして、理事の半数以上を女性にすることでしょうね。
体罰の教育効果については色々語られますが、取り敢えずは脳が萎縮する、というのが一番分かりやすいマイナスでしょう。
ほかに参考にしてみると、江戸時代の折檻を否定する教育書には「悪いことを隠し嘘をつく習慣をつける」(江戸の子育て 110ページ)との見解が書かれていて、自然に良いことをするように育てるのが教育というものだとのこと。良いことはスポーツなら自主的な鍛錬と言い換えることができるでしょう。
体罰をすると、つまり表面だけで良い事をしているように繕う子に育つらしく、高校球児にはそういう人が結構いるように思います。
前に菊地成孔さんが子供の頃に篠塚にかつあげをされた、と強く憤っていましたけど、篠塚もきっと監督の前では礼儀正しかったと思うんですよね。
そういったことは高校野球の多くで行われている教育法の根本的な欠点を報せているのではないかと思います。
2月4日のNHKの午後9時半ごろのニュース9では大越キャスターが、JOCが間に立って、と言っていましたけど、差し戻したJOCにそのまま期待できるという感覚はおかしいと思います。
2月5日の荒川強啓さんのラジオでは小西克哉さんが、JOCも悪いのに何故か報道されない、といっていて、テレビを始めとしたメディアは叩きやすいところを叩いているのでしょう。責任は同等と言えます。
柔道連盟に訴えを差し戻したJOCも全員退任するべきだと思います。
体罰の話題で、2月8日のモーニングバードで長嶋一茂さんが封建的、と例えましたけど、そうとはいえずやはり近代病であるという認識は大切だと思います。
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