東京国立博物館 平常展 ミュージアムシアター 三蔵法師の十一面観音 -インドから唐、そして法隆寺、興福寺、薬師寺へ- その4

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棋聖戦の第二局は中盤の8四銀が羽生流炸裂といって良いでしょう。他の人がやると引っ掛けっぽいんですが、羽生さんがやると柔軟で自然な手に見えます。

この局は最期まで熱戦で、素晴らしかったみたいですね。解説を追いながらみて行くと、結局6三銀の時に成ってしまったのが敗着だったということでしょうか。

名人戦でもこういった対局が続けばよかったのですが。この二人が正面から打ち合うタイプなのに対して、森内名人は相手の良さを封じてしまうタイプなのでしょうか。

ただ新聞記事によると名人戦第2局は仕掛けの近辺では後手もやれていたらしく、詳しく検討しないとなかなか一局の内容は判断できませんが。

6月24日の報ステは西武とサーベラスの攻防をやっていましたけど、ダン・クエールばかりが出てきて、笑い殺すつもりかと思いました(笑)
本当に十人の森首相が一人になったようなスケール感だと思います。

特集中では株式取得が予定を下回ったのを始め、言っている事が二転三転したりして、どうも日本を良くリサーチできていない。そこで齟齬が生じてちぐはぐな事をやっている。サーベラスとはそこまでいい加減な組織なのか、ということをやっていましたけど、ダン・クエールが社長であるというのは、全体を象徴しているのかもしれません。

彼の笑話を観て行くと、蹄鉄投げがどうとかと出てきたりして、いわゆる典型的なアメリカ人っぽいんですよね。息子のブッシュのようなカウボーイ気分なんじゃないか、という雰囲気がある。

今回もそういうアメリカ人っぽい価値観で何にも考えずにやってきたら、思わぬ障壁にぶつかった、という感じなのではないでしょうか。

資本の論理対善、資本の論理対公益という風に行かないのが難しい所だ、と古舘さんは締めていて、サーベラス側に投資している日本人も多いらしく、確かに構図は複雑です。

ただ公益に反する投資会社に対しては、悩まないで、日本社会はもっとはっきり拒否を突きつけて良いと思います。そういう事をはっきりやっていくことではじめて、バランスの取れた資本主義になるのではないでしょうか。

公益を優先する投資会社でないと日本では利益を出せないのだ、とグローバリズム的な企業にしっかりメッセージを出すことが、肝要だと思います。

6月25日のモーニングバードでは柔道の上村会長の辞任問題をやっていて、これだけやめる雰囲気をつくられて辞めないのは逆に凄い、相撲界だったら辞めている、と舞ノ海さんがいっていましたけど、北の湖もすぐに戻ってきたので、やめたとはいえません。何の違いがあるでしょうか。もっと酷いように思います。

加えて全柔連理事に山口香さんが入っていないのでは、と舞ノ海さんが質問。

宮嶋泰子さんは、バレーボールの理事をやっているからだ、と答え、舞ノ海さんは最初から打診が無かったのではないかと再び質問しましたが、そうかもしれない、との宮嶋泰子さんの答え。

どうも宮嶋さんは問題の本質をはぐらかしているように思います。山口さんが重責を担わされたときに、柔道よりバレーボールを優先するとは思えません。柔道会の体質を擁護する立場に立っていて、何か悪い意味で「内側の人間」になりつつあるのではないかと感じます。

同時間帯のスッキリでも山口香さんが入っていないことに疑問の声が上がっていて、当然です。

橋本聖子ですとか、男性的な権力構造に馴染んだ人ばかりを選んだ印象。これで上村会長はどのように改革を進めるというのでしょうか。

推測ですけど、山口香さんは嘉納家に嫌われているのではないかと思います。

話を聞いたかぎりでは、柔道界は嘉納家の影響を排除しないと未来が無いと思います。

「丸刈り野球部、8割に増加 高野連加盟校アンケート」(http://www.asahi.com/sports/update/0621/OSK201306200155.html)はやはり、最近の右傾化、社会の硬縮化、頻発する体罰問題やいじめ問題と同じ系列にあるものと解釈するのが妥当でしょう。

スポーツ科学的には、軍隊式でやってもパフォーマンスは上がらないばかりか下がるばかりである、ということをきちんと認識して指導する必要があります。

5月の朝日新聞の「プロメテウスの罠」は「家が買えない」という特集で、被災者が以前住んでいた家は中古で査定額が低いので賠償費用も低く、結局これだけの目に遭っているのに家すら買えない人ばかりであるという話。

ダムではそうではなく補償が手厚いのに、原発事故ではこのように補償が出ない理由は「決まっているじゃないですか。数が圧倒的に多いからですよ」とのことらしく、政府・東電の拝金主義が原因であるといえます。

しかも、ダムならまだ公益に資するのかなということで納得できる部分もあるでしょうが、原発事故は人災であって、ある種の暴力によって大地が汚染されるという形で故郷を失ったわけで、心理的にもさらに本来は手厚くてしかるべきです。

ダムの立退きにある準備期間やコミュニティでの話し合いも無かったでしょう。

テレビでは流さないので、こういったことすら知らないという日本国民が圧倒的なのではないでしょうか。そしてそれは極めて不健全なことだといえます。

そして何故報せないかといえば、やはりテレビが東電の賠償費用を節約しようという原子力ムラの構造の中で動いているからです。犧牲になるのは被災者です。

また、何故このように政府が値切るのかといえば、東電をしっかり国有化して賠償と経営を切り離さないからであって、その核心的な視点を意図的になのか忘れたのか(それはない)この連載では欠いています。

最近の「プロメテウスの罠」は記事によっては、他の原発報道より半歩進んでいる印象がありますが、新聞全体としては原子力ムラそのものであって、コラム中でも核心に触れる記述は回避されています。結局はそういった中でなぁなぁな雰囲気を演出するに役立つ程度で終わるのではないかと危惧しているのです。

新聞社の社員としての基準で観れば半歩ですが、あるべき報道の姿から言えばマイナス半歩といえるでしょう。

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