太田記念美術館 江戸の美男子-若衆・二枚目・伊達男 前期 その4

#その他芸術、アート

7月18日のたけしのミカタでは詐欺を扱っていて、ルース・ベネディクト的に義理と恥で解釈していましたが、疑問に感じることも多いです。

日本人が詐欺の被害を訴えないのは恥の文化だとしていましたけど、訴えて戻ってくるのなら訴えると思うんですよね。こういったことに関して日本の警察は極めてやる気がなく、戻ってこないから訴えないというのが正しいのではないでしょうか。ピッタリなタイミングでこのような事件もありました「お年寄りの詐欺被害、告訴状受理せず 長野県警が謝罪」(http://www.asahi.com/national/update/0718/TKY201307180356.html

原発や、広島で原爆症を隠さざるを得なかった人たちに対してもそうですが、日本人は行政の不備による仕方のない市民の対策を国民性的にとらえてしまって行政の改革を怠る、ということが多いように思います。それは主に「知識人」といわれる人たちの怠慢であり、ピンボケであるといえるでしょう。

また、「お母さん助けて詐欺」に引っ掛かりやすいのを「義理」で解釈していましたが、ちょっとずれている気が。スタジオで語っていましたが、情愛で解釈するのが素直で良いのではないか。

家の恥になるから隠す、ともいっていましたけど、例えば海外でも、この前「ほっとアジア」の司会を務めていたハリー杉山さんは一族の中で初めてケンブリッジに行けなかったことをかなり気にしていたみたいですし、どれだけ日本特有のことなのかという疑問を感じます。

解説の学者の人は「義理と恥」を日本人のDNAに刷り込まれている、としていましたが、たとえば日本人を象徴する言葉としてよく出される「世間」は江戸期では村の外を指す言葉で、現代のような使われ方はしていなかったというんですよね。当時の村をみても、現代で言うムラ社会的な義理はあまり感じられないと思います。

江戸時代人はかなり簡単に訴訟を起こしますし、日本人自身が伝統的であると思っている日本人像とは調べてみるとかなりずれているんですよね。

司馬遼太郎さんが「義理など夢にも思うことなかれ」という英将秘訣の記述を坂本龍馬の言葉として紹介して、なんと素晴らしい言葉だろう、と褒めたたえた文章がありますが、彼にはたくさんのファンがいて、そのような竜馬像は社会に広く受け入れられていきました。

戦後に義理と恥を日本人の欠点として強調して、その結果、世の中本当の意味での義理も恥も知らない人ばかりになっている、と思うのです。

厳密にいうと利己的な義理と恥は強まって、利他的な義理と恥は著しく衰退したといえるのかもしれません。それは原子力ムラといったところの内部の論理をみると、そういうことが観察できます。

TBSの報道特集では、戦前の漫画家の阪本牙城さんが戦争をどのように見ていたかということをやっていましたが、この人は戦前にロボット漫画などを描いていて、手塚治虫などに対する影響は大きそうですね。引き上げの凄惨さを伝えるスケッチなどが公開されていました。

こういう風に証言が眠ってしまう理由には、戦後にずっと自民党政権だったということがあると思うんですよね。本音では戦争を悪くないと思っていて、総括する雰囲気ではなかったのではないでしょうか。

そのような状況から進んで、総括するんだという気持ちを内外に示すには、やはり天皇にそれ相応の責任を取ってもらうしかないと思います。戦後の日本の第一歩はそこから始めるしかないのではないでしょうか。

また、やはり日本の無責任体制の核は何かといったとき、それは天皇が責任を取らなかったことだと思う。今からでよいので、何かそれ相応の区切りをつけるように国民は要求するべきだと思います。具体的にいえば、出家して京都に戻ったり、元首(的な立場は)は退く、といったことが考えられると思います。

最近あった海の日は明治天皇が船に乗った日だということですけど、はっきり言って休日にするようなことではありません。この由来はあまり報道されませんけど、あほらしいのではないでしょうか。

「両陛下、福島県入り=震災後3度目、私的旅行で」(http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2013072200354)というニュースが流れましたけど、この暑い時に、本当にやめたほうが良いと思います。やはり出家して、退位して、ゆっくりするのが健康に良いのではないでしょうか。

時代に常に敏感に反応しているという宮崎駿監督の戦前を舞台にした映画が発表され、7月18日の報ステの選挙特集では、かつてゼロ戦に乗っていた人にインタヴューしていましたが、今の日本が、やはり戦前と状況が似すぎている、というのは感じる人も多いでしょう。恐慌とリーマンショック、震災とそれに続く余裕がなくなった社会の硬縮化・右傾化。民主党政権の初期を大正期になぞらえることもできるでしょう。日本人が、日本というシステムが、ここ10年を正気をもって過ごすことが、非常に大切なことになると思います。

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