10月2日の朝日新聞には「「社会保障と税の一体改革」と呼ばれた当初の理念がかすんでいく。」とありますけど、この重要性についてもテレビでは本当に伝えません。こういったことを検証せずに、財政のためにあげるというメディア製のワンフレーズの虚構ばかりが連呼されているといえましょう。
「(耕論)増税は決めたけれど 橋本努さん、稲葉剛さん」(http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201310010514.html)では稲葉剛さんが「トリクルダウンの理論が虚構なのは、小泉政権(中略)でも明らかです。」とズバリ指摘。あれだけ失敗したのに、今なお給料は上がっていないというのに、テレビなどメディアはこの失敗を全く振り返りません。
「(秘密保護法案)拡大解釈は杞憂なのか 仕事増やすのが官僚組織の宿命」(http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201310010537.html)では「近代官僚制の行動原理は、保阪さんによれば必然的に「仕事を増やすこと」になるという。「常に前年比で予算や人員を増やさないと、組織は防衛できない。官僚制にとって原理的に仕事の縮小・抑制はあり得ない。なぜ勝ち目のない戦争に、戦前の軍官僚は舵(かじ)を切ったか。愚かだったからというだけでは説明できない。予算の分捕り合戦、利権争いの末と言えるんです」 」という保坂正康さんのコメントが。
これは本当に重要で、統帥権がどうとかと言っている場合ではありません。結局日本は戦争から何も学ばなかった、と言えると思います。
10月10日の朝日新聞の「憲法改正 どう伝える?」という記事では、「自民党の憲法改正草案に「家族の助け合い」が盛り込まれていることに「それが憲法のの役割なのか」と質問が出ると、中谷氏は「中国など儒教の国は親を養育しなければならないなどの規定がある。家族は社会における最初の単位で、互いに助け合う存在であるべきだ」と答えた。」とありますが、儒教を政策の精神的な柱にしていた江戸幕府は老いた親を大切にしていた家に報奨金をあげました。儒教にとってお年寄りを大切にするというのはあくまで社会全体の課題なのです。
今の政府がやっていることは、そういったものをカットした明治政府がやったことと同じことです。
儒教と全く真逆のことをやって、それを儒教で正当化するというのは詭弁です。
私はよく「滅私奉公」の話を引きますけど、過去の哲学を引いてその内容と真逆のことを正統化させようという動きはどの時代にもあるので、よくよく注意しなければなりません。
昨日の報ステでは特定秘密保護法案の審議の様子をやっていましたけど、自民党側からは特定秘密保護法案に賛成する側からとして、憲法学者の東京大学大学院の長谷部恭男教授が出ていましたけど、原子力ムラに、歴史修正主義者に、捏造論文に、東大は電波な教授を抱え過ぎではないか、というのが率直な印象。
9月29日の朝日新聞では「プロメテウスの罠」では給食に福島産の農作物が使われるということを追った新章が開始。
文中に「耕作を休み、東京電力に賠償金を求めたほうがいいのでは」という農家たちの葛藤が描かれていますが、これはテレビをはじめ他の多くの大手メディア(朝日新聞を含む)ではほとんど伝えられていない視点です。このような農家の気持ちを後押しするのが本当なら当たり前なのです。
電通の「食べて応援キャンペーン」に基づいて報道されているといいますが、なにかすごく、やっぱりごっそり事実が抜け落ちている感覚が、カルト臭いとしか形容できません。
次の回には「立たせたまま、要望書を半分に折って持ち帰るとは何事か!人をばかにするんじゃない!われわれは本気になって戦うぞ!」という福島の農家の東電清水社長へのことばが記されていますが、メディアはこの心の叫びをどれだけ伝えたのか。むしろ事実から消し去ろうと必死だったのではないでしょうか。
しかし農家の方の「吾妻には「命をかけて売る」農家に宣言した手前がある」というのは解せません。甲状腺被爆などで影響が明らかになりつつありますが、なぜこれ以上被爆させようとするのか。やはり東電からはこれ以上もらえないと思ったのでしょうか。場所によっては農家ごと過疎の村に集団移転するというような策もあったはず。
戻ってその裏には海部元総理の話しが書かれており「当時は伏せていたが、米国から自衛隊派遣を繰り返し迫られていた。」との内容。現代の解釈改憲の流れなどと合わせて歴史の流れを確認しておきたいところ。
またその下にはホワイトハウスの名物記者だった故ヘレン・トーマスさんの伊東宏記者によるインタヴューが掲載。厳しい取材で権力から遠ざけられ情報が取れなくなるのではないか、という質問者の懸念に「彼ら(権力者)と一緒になる必要はない。遠ざけられても気にする必要はない。」と回答。
彼我のメディアの意識や、記者クラブメディアの意識が垣間見えます。
また同日の藤崎真里、江渕崇記者の東電の広瀬直己社長へのインタヴュー(東電社長「経費削り今年度黒字」 値上げ当面回避http://www.asahi.com/business/update/0929/TKY201309280406.html)では、広瀬氏がひたすら黒字化の見通しについて語るのですが、それは経済優先ではないのか、という突込みは無し。
そういう発想も無きが如くで、かなり安心して答えているのが印象的。これは報道とは呼べないといえます。
その横の「(波聞風問)東電問題 返済100年「ゾンビ化」の無責任 原真人」(http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201309280659.html)には、「2年前、東電が破綻すれば賠償と除染、廃炉の当事者が不在になるとおそれた政府」とありますが、穏当に見積もってきれいごとで、官僚が責任の主体自分たちに降りかかることや、自分たちを天下りなどで繋がりがある銀行への負担を避けたのです。
東電の役員には経産省出身のものがいます。しかし書かれていません。
こういう問題の時には必ずこの視点を入れて、新聞に関わらずテレビもこういった事実を国民全体に周知させる義務がるのではないでしょうか。
また、「東電を破綻させれば大規模な損害賠償に支障が生じ、金融市場の混乱や人材流出を招く恐れもある。」ともありますが、これはこの前の報ステでも古賀茂明さんが説明していましたが、バブルの時の負担に比べると比較にならない額です。またむしろ会社の再生であって、今のままの人材流出を食い止める手段になるのです。
同日の「ニュースの本棚」の特集では、明治以後に国家神道・権力と結びついて変容してしまった伊勢神宮をめぐる本を特集。本当に伊勢神宮は、初心を取り戻して再び生き返るためにみそぎをしてすべてを祓い、杜の社であるという本質以外をあらかたそぎ落として再出発するべきだと思います。
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