東京国立博物館 日本テレビ開局60年 特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」

#その他芸術、アート

行って参りました。

最終日に気が付いて、急いで東博へ。どうも意外とやることが多くて・・・・。

上野公園ではなにやら大きなたらいがたくさん並んでいるので、何かと思えば、鯉の品評会をやっているもよう。

どれも綺麗ですが、なにか評価が高いものに限って大きかったような。優勝したのですとか、ぶりのように大きいのもいました。

展示作品がものすごく少ない展覧会でどうなっているのかな、とも思っていたのですが、第一室はスクリーン全体に「洛中洛外図屏風 舟木本 岩佐又兵衛筆 6曲1双 江戸時代・17世紀 東京国立博物館」を高精細で拡大して解説するもの。

これだけ拡大しても全く破綻がない、どころが技が際立つというのがものすごい屏風だと思います。

徳川家の二条城と豊臣家の方広寺大仏殿を対置している構図が有名ですが、50mあったという方広寺の大きさはやはり際立ちます。

秀吉はこういうのを建てたかったのだろうし、政策上でも必要だったということなのでしょうね。ここで描かれているのは再建したものですが。

呼び出しではシアトル在住の方を探していていて、遠くから楽しみに来ている方も多いのですね。

前期展示で印刷のみの「洛中洛外図屏風 上杉本 狩野永徳筆 6曲1双 室町時代・16世紀 山形・米沢市上杉博物館」は細川家の庭の豪華さが目立ちます。

「洛中洛外図屏風 歴博乙本 6曲1双 室町時代・16世紀 千葉・国立歴史民俗博物館」は現存最古の洛中洛外図らしく、田んぼんまどがあってひなびた感じ。手で支えもせずに頭に大きな荷物を載せている人がいましたが、それで大丈夫だったのですかね?

洛中洛外図は応仁の乱で京都が焦土と化して、かつてを偲びたいという気持ちから生まれたとのこと。美術的な流れとしては宋の清明上河図などの都市図があるとのこと。雪舟の「天橋立図」も上空から描いていて、実景を描くという点では繋がりがあるとも。

最初は権力者向けだったのですが、だんだん市民向けのものなども作られるようになったとのこと。このまえやっていた「シリーズ在外秘宝」では、輸出品として人気があったともやっていました。

「洛中洛外図屏風 勝興寺本 6曲1双 江戸時代・17世紀 富山・勝興寺」は見世物小屋などがない格調が高い屏風で、貴族向けだったとのこと。二条城と方広寺を対置する最古の屏風であるとのこと。

第2部の「都の空間装飾─障壁画の美」では「1 王権の象徴─京都御所」でも「2 仏法の荘厳─龍安寺」でも、「群仙図襖 狩野永徳筆 17面 安土桃山時代・天正14年(1586) 京都・南禅寺」や「列子図襖 4面 江戸時代・17世紀 アメリカ・メトロポリタン美術館」など道教や儒教(とも意識されないで、唐風のものとういうことなのでしょうけど)の画題ばかりが描かれているのが印象的。

伝統的に唐服を着用する皇室はこうだとしても、禅の根拠地たる龍安寺の障壁画も道教、というのがなんというのか。中国の思想、ということで、禅と特に差異はなったのだなと思います。

やはり古典的な中国と切れた、皇室や禅は寂しい。現代でもこういった所を手掛かりに大切にしてもらいたいものです。

龍安寺の障壁画は廃仏毀釈で流出し、今でもその多くが行方不明。海外に渡ったものも多く、今回これだけの枚数が揃うのは80年ぶりなのだそうです。

「3 公儀の威光─二条城」は「松鷹図
二の丸御殿 大広間四の間 狩野探幽筆 西側6面
北側9面 江戸時代・寛永3年(1626) 京都市(元離宮二条城事務所)」が見事。枯れた絵も多い探幽ですが、ここでは永徳調の豪壮さで、松がうねってフレームを飛び出しまくっています。徳川の天下統一が完成した瞬間を、絵が示しています。

展示の場所から言っても、探幽の絵の中でも重要なもので、帰ってきてからも、随分迫力のあるものを観たなという感慨がふつふつと湧いてきます。

この章の副題は「京に咲いた徳川の桜」。

京都では王朝文化が咲き誇っているわけですが、その中で唯一、二条城だけが江戸の要素で、異質なんですよね。

大きなプロジェクションマッピングが各所にあり、画幅が大きい作品がほぼすべてといった、いろんな意味で大規模な展覧会でした。いろいろな教徒が感じられたように思います。ありがとうございました。

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