「(ザ・コラム)震災の記憶 仙台の「蛸薬師」に学ぶ 上田俊英」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11044122.html)は、各所の波分け神社の手前など、伝承通りに波が止まったことから、本当に千年に一度だったのかと問いかける注目記事。
事故直後から「千年に一度」とテレビ・新聞などは躊躇なく呼び始めましたが、その根拠は何なのか。責任を問うこともせず、自分たちの責任も明らかにせず、偽りの情報を流し、大本営発表を続けるメディアが「千年に一度」と呼ぶことに、ある方向に社会を誘導しようという意図を感じずにはいられないのです。
このような先人の記録から既知の規模であることを知らされています。
現状で「千年に一度」と呼ぶのは、少なくとも科学的とは言えないといえます。
東南海も含めればよく来る規模の津波でもあって、それだけをもってしても、千年に一度という表現は誤解に誘導します。
政府の津波の規模の分け方についても、きな臭いものを感じます。明治三陸・昭和三陸なども、大船渡など三陸でのその規模は相当なものです。ことさらに小さく分類するのは誤解を招きます。
記者にはできればなぜ躊躇なくメディアで「千年に一度」と呼ばれるようになったのか調べてほしいですね。
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