「天声人語2014年12月23日(火)付」は
「司馬遼太郎さんが「仲間立(なかまりつ)」という言葉を使ったのが印象に残る。公と私について語る文脈で、英国の一部の私立学校をパブリックスクールと呼ぶのは、歴史的に仲間が金を出しあって運営してきたから仲間立であり、公的な意味合いを持つのだ、と」
パブリックスクールは貴族の子弟しか入れないのに「パブリック」と付いていることにイギリスの欺瞞があると指摘されています。お金持ちは入れますが、特権階級のものであることは変わりません。
日本のマスコミも同じとは言えないか。
公共的な精神とはかけ離れた誤報の山を築いているのに、自ら指摘しないのでだれも気づくことができず、今でも多くの国民が半ばパブリックなものだと思い込んでいる。
ここに日本のメディアを取り巻く核心的な問題があります。
原発の広告費はその一例ですが、甘い蜜を腐敗した仕組みで吸い上げて、自ら振り返ることもしないのです。
司馬遼太郎さんは沖縄の問題に象徴されるように、日本の全体性を強調する思想を持った小説家だったといわれます。
司馬遼太郎さんの思想を並べてみると、(捏造を含めて)歴史的に戦後を擁護しているのですが、こういう所でも日本の戦後体制を擁護するぼけた発言をしていたんだなと思います。
この記事は、いかにも吉田証言しか誤報が無いかのようで、これをはるかに上回る重要な誤報が山ほどあります。
私も相当な量の指摘をしてきました。
一番近い、対の問題である吉田調書に対して朝日が謝罪したことによる報道の自由への侵害も多くの論者に指摘されているのにまったく触れません。
いつまで自らがこしらえたイリュージョンの内側に閉じこもり、読者を騙し続けるつもりなのだろうか。その倫理的欠落は人間として信じがたいくらいの水準です。
コメント