「(思想の地層)人権への意識 耐え忍ぶ美徳のワナ 小熊英二」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11548971.html)では
「日本の民衆自身が不当な状況に声を上げる経験を積まなければ、外国人の人権を尊重する機運は高まらないだろう。」
とのことですが、震災の脱原発デモの時であれだけやってもメディアが伝えなければ何もなかったことにされる、と知識のある人は皆で嘆いたはず。
しかしここでまた日本人はデモをしない的な論壇の意見に逆戻り。
3,11後に震災の教訓が全く生かされないので、日本社会の「形状記憶」力に呆れる声が多く聞かれたものですが、「学者」の「形状記憶」力もなかなか悪い意味で侮れないと感じさせます。
最低デモに対する大手メディアの姿勢を強く非難することを付け足すべきではないか。
そもそもここで引用されている「戦争受忍論」はおかしい。
日本で戦争責任が追及できなかったのは、責任者たちをアメリカが統治に利用したのが大きいでしょう。
またこの前書いた「供託金」の話
も大きいのでしょう。
世界金融危機の無責任にも似て庶民にはいかんともしがたい面も多く、戦争責任が追及されないことについて過大に市民に責任を押し付けるのは私は反対です。
最低上のような指摘とセットで語られるべきではないか。
また、抗議の歴史的には米騒動やその前段階の一揆を軽視しています。
また、
「アメリカ国務省の幹部は、「米国の基準であれば、あれは人身売買以外の何物でもない」と形容したという。」
とのことですが、もちろん日本の現状は改善されるべきですが、アメリカの農業が不法移民に支えらえていることを書かないと、偏った認識になるのではないか。
加えて
「所属するアイドルグループの「ルール」に反して恋愛をした歌手が、頭髪を刈って謝罪した映像がネット上で公開されたものだ。これは人権侵害ではないかという指摘が一部にあったが、そうした認識が日本社会全体に共有されたとは言い難い。」
は(諸説ありますが基本的には)自分で刈ったのだから侵害ではないでしょう。
しかし、こういった事件について思うのですが、これとか、一連の恋愛禁止からバレた後に開き直った運営の一転罰則なしの移り変わりは、誰かが景品表示法違反で訴えてよいと思う。
恥ずかしいと思うかもしれませんが、そのような気持ちは脇に置いて虚心坦懐にやるべきではないだろうか。
日本の司法を深めるつもりで、決断する人がいないだろうか――――――――。。
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