道徳に「成績評価」

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3月2日のTBSの「ニュース23」では「道徳に「成績評価」」ということで道徳教育について特集。

ちらっと見たくらいなんですけど、友達が絵具を忘れて貸すのは3回目である、どうするか、という設問があるらしく、A評価の正解は貸すとまた君は忘れるだろう、君のためにならない、といって貸さないというものでした。

小学校にはいろいろな人が来ており、その忘れる理由も千差万別です。どうしても人の力が必要な人もいるのです。

これはただの自己責任の思想ではないか。どんな小学生なのか。

仏教はそもそも「~しなければいけない」式の道徳を嫌っています。煩悩とは何か、というときに「~しなければいけない」という考え方のことだ、と知っておくと、便利だと思います。

儒教では例えば、論語の冒頭は有名な「学んで時にこれを習う亦説ばしからずや」ですけど、これは道徳ではないですよね。あえて表現すれば、生きていく上での姿勢をほのめかしているといえる。マルバツ式の道徳ではなく古典によって生きる姿勢を暗示するのが東洋の伝統的な教育と言えるでしょう。

道徳教育ではなく、東洋思想のエッセンスを学ばせるべきですが、絶対それをやらないんですよね。政府自身が東洋思想の真逆の思想を持っているからであると思います。

例えば禅は型に嵌った対応を否定します。「禅門逸話選」全三巻の帯の売り文句の最後は「空前絶後奇想天外」で「だれもやらねばおもいもつかぬ」とルビが振られています。

つまり誰もが想像しないほどの創造的な対応をすることこそが禅門の徒の証なのです。

道徳というのは、分解すると「道」と「徳」であって、ともに深い意味を持つ、きわめて理想性の高いものです。近代に入るまでは実際にそのような言葉として使われていました。

岸井主筆は、愛国心を育てる授業は点数評価になじまない、とコメント。

国を愛する、つまり国家主義を導くための道徳の授業は道徳の名に値しないのではないか。

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