「分かれる賛否…川内原発あす再稼働へ」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=43105)という報ステのタイトルですけど、再稼働反対が圧倒的に多い中で、割れる賛否という表現を取るというのはどうしたことだろうか。
報ステでも再稼働の大義名分として地元の人の生活をあげていましたけど、地元と言う言葉をこの局所的な意味で使うのはどうかという話は横に置いて、福島でも大熊町や双葉町の人には大きな責任があると思うのですが、取っていないですよね。甘い汁だけ吸うというのか。
だれも了承しなければ原発はどこにも建たなかったのに、彼らは、自分たちがお金をもらいたいから建たせたのです。確かに被害者でもあるのですが、それで解決する問題ではないのです。
川内市は再稼働でただでもらえるお金だけで13億であるとのこと。
日本全国に貧乏な市町村はいくらでもあります。メディアはなぜ川内だけクローズアップするのか。存在する代替プランを紹介しないのか。
結局川内市が同意しなければ再稼働はできません。まだ福島は安全神話がどうとかありましたけど、今回はそういうのも全くありません。「地元」の責任は果てしなく大きいのです。
事故の場合は東日本も含めて甚大な被害をこうむることは必定です。
東日本のまで含めた個人個人に、電力会社など推進する人間たちで13億づつ配るべきではないか。
「モンスターシステム」にメディアが触れないままに、またその回路が活発に動き出すことにも注目しなければなりません。
「ワイドスクランブル!」の橋本大二郎氏をはじめ「なぜ急ぐのか」という言い回しもみられましたが、「モンスターシステム」などを全く取材せず、「なぜ」という言葉でそこを埋めて日本中に垂れ流すのです。
「なぜ」という部分について11日の大竹まことさんのラジオでは、朝日新聞の、電力会社の経営悪化のためという説をLNGも原油も下がっていて儲かっていると否定した記事を紹介。
同紙では電力不足説も節電が定着してきていると否定。
東京新聞によると「電力会社に責任を押し付けで誰も責任を取りませんよ」ということになっているとのこと。国費をじゃぶじゃぶ投入されている東電が責任を取っていないのに責任を取るというのはまさに言葉になっていません。
「前の事故から学ばないのかね」と大竹さん。
学ぶというと知的な雰囲気もありますが、知的な案件ではなく欲的な案件であるというのが本質でしょう。
結局政府の人間個人のお金の話です。
立地自治体は「国の責任を強調している」とのことですけど、国が責任を取らないと言っているのに意味不明ともいえるでしょう。電力会社だけでは責任を取れないので、自治体内の人間に対してこのように嘘を言わないと、仮にも説得できないのでしょう。
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