綺麗事かもしれないけれど、
自分とは違う意見や立場を
「だめだ」「いけない」と決めつけず、
そこに至る背景などを、まずは知って、
「理解」しようとする気持ちから
作っていくしかないのかなと、
いつも感じています。
はまさにその通りだと思います!
たとえば安保法制を違憲と斬って捨てるのはたやすいですけど、支持者の多くには中国に対する怯えがあるわけで、それを取り除き、むしろ安保法制が対中戦略にとっても害悪になるということをこんこんと説いてこそ本音レヴェルで説得し国全体を平和へとかじを切ることができるのです。
以前に金子勝さんの話し方についてそういうものが欠けているんじゃないかということを書きました。金子勝さんは、良い意見も言うんですけど、やっぱり腕組みをしながら話されるのがどうかと思うんですよね。これも前にも書きましたが。
腕組みは心理学的には相手との間にバリアを作るときに組むのだそうです。金子さんの話の特徴はこのバリアで相手を弾いてしまう。その話法が身体的な特徴として表れたのがこの腕組みです。
これがあると確かに強く戦いやすいんですけど、相手も表面で弾かれるものだから、深いところで自分の意見を聴いてもらったという感覚を持ちづらくなる。取りつく島のない感覚に陥る。
武術で言う所の「対すれば相和す」であるとか、お互いの深いところで対話しあい、変えていくような議論がどうしてもしにくいんでよね。なので影響力が限定される。
そういう所が惜しいなぁ、といつも観ていて思います。変えていくとしたら抜本的な内的変革になる可能性もあるので、大変な所でもあるんですが。
というわけで、もちろんお互いの意見を深く聞くのは大切ですが、それを真に達成するためには、お互いを深く受け入れる身体性が必須ということです。そしてそういったものを学んでいくために武術が一つのヒントになるといえるのです。
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