中島岳志さんが引用してきた「水を差す」という言葉を古舘さんは大いに気に入ったみたいですけど、これはなかなか実際的な力のあるおもしろい言葉。
対として出てきた「空気を読む」という言葉自体が昔からあるもので、こういった社会の在り方は伝統的なんだよ、というメッセージを内包しているんですよね。それに対して「水を差す」というこれまた昔からある日本語で、そういったものが伝統ではないよということを説得力を持って表現する、まさに「水を差す」言葉になっています。
伝統という保守の立場からリベラルを語っているのであって、「リベラル保守」らしい論法だなとは思いました。
「保守」派の足元を切り崩すリベラルな言説としては、この前大島さんが演っていた平塚らいてうの「元始、女性は実に太陽であった。」と同じ性質があります。
本来「空気を読む」といのは自分の利益のために周りに合わせるということではなく、もっと技芸の真髄で使われるような高度なものだったと思う。たとえば「阿吽の呼吸」の前提となるような。そう考えるとこの「空気を読む」という言葉もかわいそうなものです。
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