(http://www.asahi.com/articles/DA3S12516717.html)では
「もうひとつ大切なのは、『伝統の継承者』という言葉が出てきたことです。天皇として当然のことを述べたものですが、単なる古い伝統の継承者では足りない。『いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています』とある。新しい伝統をつくり、次の天皇に伝えたいという意思が感じられます」
とのことですが、「出てきた」という表現は以前は出ていなかったということなのか。であれば、白川静的な、伝統的でリベラルな天皇家の役割に今上天皇が引き寄せられつつあることの表れではないかと思う。(皇室は遥かなる東洋の叡智」(桂東雑記 Ⅳ 白川 静 (著) 213ページ)参照)
直接にしろ間接にしろ、白川静さんの提言が皇室の使命を呼び起こしたのではないかなどと思います。
私も結局のところは皇室の意義とはそれに尽きるのではないかと思っています。
――一方、憲法学者の間には、天皇の政治的影響力の拡大につながるのではとの懸念もあります。
「私はちょっと違う考え方をしています。今回の声明は、国民統合の象徴としての役割を果たすには、能動的でなくてはならない、という天皇のお考えを、主権者である国民に対し、問題として提起されたのだと思います。どのような象徴天皇のあり方が望ましいか。これは非常に重い問いで、日本国の将来を左右するに足る大きな問題です」
という問いは法律的にもっともな考えですけど、しっかり行動してくれるならしっかり行動した方が国は良くなるんですよね。しかししっかり行動しろとは法律には書けない・・・・・。
いまは現行制度の中で考えれば一番うまくいっている類まれな状態だといえますが、将来どうなるかはわからないので天皇の主体的な行動は制限される方が無難なのでしょう。
それとも退位した後の隠然たる影響力を心配した文章なのでしょうか。
「リベラル」系のネットの論者に今上天皇の権威をもって現政権を批判する人がいますけど、慎むべきだと思う。
政治的な権威を天皇に見出している点で極めて危ういですし、その論者は「今」だから引用しているにすぎないだろう点において一貫性を確保できないでしょう。
(ただ、口先ばかりで天皇、天皇といいつつ(いうたびに嘘を付いているようなものだ)利用価値のあるものぐらいにしか思っていない極右の人間たちを揶揄するぐらいの意義はあるのかもしれませんが。)
コメント