(http://www.asahi.com/articles/ASK3Z31FPK3ZUTIL005.html)はいろいろありますが、まずはやはり、袴をはいているのは「権威づけ」の欺瞞といえます。本来は軍服でやるものです。
誰の発案により、誰の責任を持ってやるのか。最低限明らかにするべきだ。
また、なぜ現代に武道をやるのか(やって良いという社会的コンセンサスが成立しうるのか)といえば、心身を錬磨する効果があると考えられるからです。
銃剣道は旧日本軍の訓練で行われたものであり軍隊そのものです。銃剣道は武道ではない。
「礼」ではなく軍隊的な規律をもって統御されており、そこに含まれる非日本的な・非伝統的な身体性は、明治維新後日本を滅ぼしたものとして最も批判・排除されなければならないものです。
つまりは反武道的な「武道」なのです。
日本刀はあやうい殺傷の道具ですが、芸術品でもあり武士が磨き上げた魂でもあります。長い時間をかけて、倫理を確立し、その操法を芸術的といえる域に高めてきました。
それと比べますと、銃剣は軍国主義の時代の殺傷兵器。日本刀のような伝統も文化もありません。
人間練磨のために銃剣をやるということは日本の伝統の中ではありえないことだ。
文化という、外から見ると尺度が曖昧にみえるところに、とんでもないまがい物を放り込んできたといえます。
武道会は一致しては戦争への反省を胸に反対するべきだ。
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