(http://www.asahi.com/articles/DA3S12896785.html)では偽メール事件について出てきましたけど、最近の安倍の「辻本」発言は偽メール事件よりずっと重要なので、そのように取り上げられなければなりませんが、新聞もテレビも沈黙したままです。
メインは「パノプティコン」という模式図ですけど、現実では横並びの日本の中でそれぞれの利権を共に守りあうために連携して動いており、とても「囚人」という状況には当てはまらない。
私は一つの箱をイメージしますね。上からみると安倍晋三という箱の蓋がみえますけど、開けてみるとアリのように人が箱いっぱいに詰まっており、それが安倍という蓋を支えていた―――――――。
そして箱の裏には甘い蜜がたくさん塗られている。それは本来は国民の財産であるものです。未来の国民の財産といった方が適当かもしれない。
その中でも蜜に近く、たくさんいるアリが大手メディアという図式です。
「蜜箱」とでも表現しましょうか。
将棋では不利な局面では局面を複雑化してごまかすのが有力な手段とされています。これは将棋以外の分野でもよく観察されることです。
フーコーを引用して複雑化してけむに巻くがごとくに、自分たち(大手メディア)の罪を著しく減免した形で提示ています。
ここで「囚人」(アリ)に当たる人たちには実際には各種の利権が用意されており、まるで監視されていやいややっているという状況ではないのです。本来はこのように受動的な立場ではありません。
その蜜を塗る行為こそが安倍が主体的にしている唯一の行為といえるのかもしれません。(トランプも安倍の注意するべき特質として挙げていましたよね。)
安倍ははっきり言って強いリーダーではない。
その政策はまるで官僚(内閣官房)任せだといわれています。
安倍は利権に押し戴かれたあたかも顔だけのリーダーのようにみえます。
安倍に安倍政権の本質を置きすぎるのでは真実を見誤ります。
西洋の哲人の言葉はヒントであるとともにその時代の制約をそれぞれ受けています。
アダム・スミスの時代に巨大企業は存在しなかったし、フーコーの時代には今のように政府の回りを権力・財力を持った分厚い層が取り巻いていなかったということなのだと思う。また通信手段も発達していなかった。
地域、時代、そのまま適用するのではなく常に柔軟に合わせて思考していく態度を持たなければなりません。ハリケーン対策の非常用電源ではまずいということです。
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