【出演】ジョセフ・スティグリッツ,マルクス・ガブリエル,トーマス・セドラチェク,ニーアル・ファーガソン,ルチル・シャルマ,ペリー・メーリング,小幡績,飯田泰之,早川英男,【語り】石橋亜紗
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「世界、日本の経済を揺さぶり、混迷を深めるコロナ・ショック。「欲望の資本主義」「欲望の時代の哲学」の出演者他、世界、日本の知性が、今これから、大転換の時代を読む。」
という番組説明で大体その出演者とその編集手法です。
前半の海外の論者の話を総合すると、グローバリズムはこれで終焉を余儀なくされる。連帯が必要だといった話。
グローバリゼーションはコロナによって連帯を内包した新たなステップに進化しつつあるということなのか。
今景気刺激策を行う愚かさについても言及。
私もコロナ下での消費減税を真っ先に否定しましたけど、駄目なのは当たり前です。
外出を控えるように言っているのに外出させるインセンティヴになるからです。
日本の論者はどれも小粒で品格が無い感じだ。
飯田氏・小幡氏はそもそも財政の話をしていることがスケールが小さい。
飯田氏は「緊縮財政こそ正義という信仰」を批判。MMT的だ。
過去のアベノミクスの金融緩和に対する批判に対する批判を含んでいるようですけど、「もしもの時のために政策手段を取っておく」などという発想は逐次投入だと批判。
しかし、黒川氏の何度も行われる「バズーカ」こそが逐次投入だといわれていますよね。しかも効果は惨憺たるものだ。
飯田氏はアベノミクスの守護神的なコメンテーターでしたけど資源を投入するばかりで成果が上がらなかった現実をしっかり見つめる必要があります。
一方小幡氏は極端な反対側というべきなのか、10万円のお金の給付などしてはいけない、一番大切なものに集中するべきだと提言。
しかし、外側の不要にみえるようなものを守らないと「大切なもの」も守れない。当然影響が来るからだ。
それに医療とか本当に必要なものだけを必要なものとする考えは、あまりにもホモ・ルーデンスとしての人の本質を無視していないか。遊びが本質だとすれば不要に見えるものこそは実は大切なものかもしれないのだ。
それにそのような政策で人命をどのように救うのか?
危機は何度でもやって来るからお金を貯めておかなくてはならないとのこと。
しかしお金を稼ぎだすのもその不要に見える部分が大きいのでは。
実生活に資するもの以外は切り捨てる考えで、昭和初期の固陋な官僚ではないかと思うほどの化石的な考えだ。それがコロナ危機で表面に出てきた感じなのか。
それにだいたいそういう大切ではないものに含まれるのは「文化」だ。文化蔑視の考え方そのものであることも指摘したい。
何をもって大切ではないかとするのも問題だ。例えばお笑いは下らないと思われがちでしたが、最近は笑うことによって免疫力が上がることが医学的に知られてきていて地位が上がりつつあると思う。
何が重要かそうでないか、仮に現代人の全ての英知を凝らしてもなかなかわかるものではない。不可知であり、無知の知を知るべきだ。
一番まともな感じなのは早川氏だ。テレワークなど社会の改革を提言。
集団の中に貧富の差があるとお金持ちの健康も損なうということが分かったということを確認。
後半の世界の論者は各論に入って行く形で、グローバリズムが巻き戻されるだろうといった話。
米中の冷戦が深まっていくだろうとのこと。
歴史を戻してそもそも戦後の自由主義経済は戦前のブロック経済が戦争を招いたことへの反省からだというお浚い。
中国そのシステムにうまく寄生しましたよね。
共産主義は生き残っている、中国を動かしている、とガブリエル。中国はそもそも共産主義なのか?
各国で起こっている(独裁や国家資本主義化の)現象は中国の模倣であるとガブリエル。
模倣というか
エゴイスティックな中国には自我を主張しないと戦えないということなのだと思う。
無法者に対抗して超法規的な措置を取ったとしたらそれは無法者を模倣したということになるのであろうか?
ガブリエルの表現は言葉遊びではないのか。
「国民を思考停止に陥らせる政策をとってはいけないと思います。」と小幡氏。
10万円のことを念頭に置いているでしょう。
福祉を手厚くすると国民は何もしなくなるというのが「本音」のようだ。
社会を発展させるのは植物を育てるのに似ているでしょう。
適切な手入れが必要だ。
しかし世界最小の政府の教育支出はスタートの平等を歪めている。
子育てへ支出しないことは少子化という決定的な衰退要因を招いています。
ネオリベラリズム的な考えで一番割を食うのはボーダーの人たちであることも決して看過できない。
そのような社会をまねているのはこのような思想ではないだろうか。
今回の10万円も事業・生活の継続に必ず必要なものだ。
あともう一つ気になるのは、コロナ対策で有効なことは過去に財務省をはじめとした官僚が否定し続けてきた手法・方向性にあることだ。
つまり自分が主張してきたことを曲げないと正しいい対策が取れないという状況だ。
小幡氏の話を聞いていると非常に意固地になっているように感じる。
間違いを認めて方向転換ができず、降伏が遅れて国土を灰にした軍部と同じ行動原理が働かないか。小幡氏の話を聞いてそのような危惧が非常に強くなりました。
一方で金子勝氏のようないわゆる左系の人達の中には、今回のコロナ禍の結果はネオリベラリズムに対する勝利であってそれを誇ろうとする人がいますけど、緊急事態であって、そこで行われる処置は緊急的なものと理解するべきだ。
国政という厳粛な場に勝った負けたという私情を持ち込んではなりません。
また実は人は変わっていない。人が変わらなければ変わったとは言えないのです。
終章でガブリエルは傑出した哲学者の言葉として、ハンナ・アーレントの出生の概念の重要性を強調。
前にも書きましたが私はこれは仏教の「天上天下唯我独尊」と全く同じだと思うんですよね。後追い哲学なのではないか。
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