はまずは、カントの「永遠平和のために」について。「近代哲学の開祖」ということですけど、カントは宗教の哲学的な展開なんですよね。
それ以前の土台を引き継がなければ、カントはいつまでも借りものであり他者にしかならないでしょう。
ドイツの新聞記者が日本の街宣車をみて「日本は民主主義の発展途上国である。ヨーロッパではこのようなことは許されない」と捨て台詞と吐いて離れて行ったとのこと。
今はドイツがネオナチによって同じような事態になっている。もしかしたら日本よりひどいかもしれない、という話。
とはいえやっぱり元に戻れば、街宣車は民主主義国にあってはならないものなんだと思う。本当に治安維持法の代わりです。
そしてそれを許しているのは、政界の、国の雰囲気であり、ドイツもそういったものが劣化しているということでしょう。
それに続いては難民問題ですけど、こういうことを考えるとやっぱり、ドイツにも受け入れる精神的な体力はそうは続きそうにない感じです。
なんで、貧しい人が先頭切って排斥しているのか、という問い。
ボンビーだと飛躍した論理が受け入れられやすい、という話。
メディアが受け狙いで煽っているのではないか、と室井さん。「それもある」と竹田さん。
金子勝さんが「江戸時代に下層を作るじゃない、貧しい人」と現代の派遣・介護の問題などと絡めて語りましたが、江戸幕府がこのような下層の階級を作って不満をそらせたというのは、古い学説で現代では間違っているとされています。
「えたひにん 不満をそらすため」といれてぐぐって一番上のリンクを読んでみてください。
現代では扶桑社版の教科書にこのような記述が残っている、と調べると出てきますが、これは日本のリベラリズムと保守主義のコインの表裏をなす関係について考えるときにとても示唆的な、歴史認識に関する事例だと考えます。
労働者を正規社員と非正規社員に分断する「ディバイド&ルール」ということですが、竹田さんはもう一つ、ということで国際競争の視点を指摘。やっぱりここの部分をフォローしつつ語らないと説得力が出ないんですよね。
竹田さんがいうには、80年代の日本型経営は贈り物の贈り合いであるとのこと。
ここで話がぶった切れておしまい。かつての日本型経営への意見は聞いてみたいですね。
金子勝さんもあまり話さない部分ではないでしょうか。
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