東京都美術館 【特別展】ルーヴル美術館展地中海 四千年のものがたり その4

#その他芸術、アート

10月2日の大竹さんのラジオでは古賀茂明さんが登場して、原発ホワイトアウトを宣伝。

消費税値上げにも触れていて、ギリシャは消費税を上げている。20パーセント。財務省の基準でいうと優等生。

ばらまきも増えていて、増税とバラマキのスパイラル。ギリシャも反対があって公務員を削減していない、改革なしの増税がギリシャ化。

といった話。

大竹さんがばらまきの内容について振ると。

弱者対策、という名前で、弱者じゃないところに行ってしまう。本当の弱者にお金があるようにするべき。似非弱者、ちょっとぐらい悪い人には出さない。とのこと。

国土強靭化は、似非弱者にも行っておらず、大竹さんは例えばゼネコン関係とかそういう話をしてほしかったのだと推測しますけど。話が微妙に違う方向へ。

そういえば古賀さんがゼネコンと政治家の癒着をことあげして非難しているのを聞いたことがありませんので、ここは意図的に避けたのかもしれませんね。

古賀さんは基本的に新自由主義的なのを押えておく必要があるでしょう。何が似非弱者か、というところが一つの問題ですが、こういった感覚からベーシックインカムの議論が出てくるのはよくわかりますね。それと古賀さんの主張は全く別の話ですが。

古賀さんのいう、「似非弱者」風の人の中には、価値観が多様であれば才能を発揮して活躍できる人がかなり含まれていると思うんですよね。そういう人を今の閉鎖的な社会に放り込んで、勝手にやれ、というのではなくて、多元的な価値観の中で丁寧に活躍する場を作っていくということが重要ではないかと思っています。

最後はいつものTPP推進・新自由主義的な持論を展開し、農家だったらかわいそうだ、中小企業だったらかわいそうだ、というのじゃなくて~、といっていましたけど、かわいそうだからという言い草は一体どういうことなのか。

海外と比較して農業を育てるために必要な資金が全く回ってこないのです。これをかわいそうだからだという感情論にすり替える古賀さんの論法は実におかしいです。単純な数字をいつになったら見直すのか。

中小の場合は立派な技術を持ちながらもそれをちょっとした支えがないがために生かし切れていないところがたくさんあるということです。かわいそうだとかそういう問題ではないのです。

そもそもかわいそうといういいぐさが、これらの産業の力を侮っていて侮辱的です。そしてその非合理な思い込みは、日本の弱体化へ変わって跳ね返ってくるのです。

10月10日の大沢悠里さんのラジオには、スリランカ出身のタレントで日本の大学で准教授も務める“にしゃんた”さんが出演。

戦後日本は分割統治されそうだったがそれを救ったのはスリランカ人だった。今は日本人は全くそのことを覚えていなくて、スリランカの片思いだ。東京裁判を学び直してほしい。とのこと。

本当に日本は東京裁判を優先して学ぶ体制にしなければなりません。

歴史修正主義、ひいてはネット右翼の台頭も、ここに原因が求められるともいえるでしょう。

ネット右翼の定義について話している文章をネットで観ましたけど、「歴史修正主義を信奉している人」でよいと思います。これがすっきりしているのではないでしょうか。

スリランカは輪廻転生をするのでお墓がないとのこと。私はそこにはいませんよ、ということなのだそうです。海に囲まれていることも関係しているのでしょうか。

10月2日の天声人語は日本お上意識と政府を必要悪と考える自由の国アメリカの比較をしていますが、この「お上意識」という言葉はおかしいと思うんですよね。

現在は研究が進歩していて、江戸時代の庶民は幕府に対しても要求を突きつけるときはしっかり突きつける存在であったということがわかっています。彼らの記録を読んでいると、権力に対して非常に強く果敢な当時の日本人の姿が浮かんできます。

この「お上意識」という言葉は旧研究を基にしたか、とにかく江戸を貶める明治以降の世間で作られたものでしょう。

歴史の実情を誤解させるもので、使うべきではないと思うのです。

私は江戸時代人が権力に弱かった、という説を「水戸黄門史観」と呼ぶと分かりやすいと思っているのですが、どうでしょう。

それに、漢籍などを読んでいても、政府自身が原罪的なものを抱えていることは、強く意識されていると思います。筆者は漢籍を読まないのではないか。

たとえば、後楽園の由来である「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」なども、少し気を抜くと天下を損なってしまう為政者という立場への戒めと解することができます。

有名な老子の小国寡民も、政府そのものが必要悪である、という考えからそのような結論にたどり着いて言っているといって、良いでしょう。

なので日本でお上意識といわれているのは明治以降、現代までにだんだんと醸成されて来たものだといえます。

そしてそのお上意識はいまだに強くなり続けていると思います。いじめや体罰などと同じで、どんどん最近になって強くなっているのに旧弊だと思い込んで対処が取れていない問題の一つだと思います。

そして、その「お上意識」は具体的に言うと官僚を優秀だと思い込んでいるところから、大部分が来ていると思うのです。

いまだに官僚が優秀だと思っている人がいるのが一番よくないと思います。これは日本がダメな意識の一番の中心にあるとおもいます。ここを変えれば日本が良くなる、というところの最も重要な一つだと思っています。

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