五輪を観て寝不足が続いているらしく、苦労して勝った選手に惹かれる。浪花節に弱い。日本人だから。と金子さん。
それに対してオリンピックで勝った人たちは「凄い選ばれた人たち」と大竹さん。
五輪で勝っている人たちは途中で苦労があったにせよ(全体の総数から言えば)勝ち組過ぎてそういう感動のストーリーは私は感じないのですけどね。大竹さんも暗にそういうことが言いたかったのではないかと想像。恐らく永遠に報われない芸人たちなどに日常的に接しているのでしょう。
「自分たちが本質的に失敗していることを隠して、本質的でないところに仮想敵を作る」と劇場型政治の定義を披露する金子さん。
「失敗」の中にはたとえば電力システムをはじめとする腐敗した利権があるわけで、劇場型政治は腐敗した利権から目を背けさせるシステムと言えます。
しかしそれを作り上げているマスコミについては、どうか。
「私は相当マスコミの責任だと思う」と室井さん。「日本のマスコミはこういうのを煽るのが大好きなんですよ」と金子さん。
大好きというよりは、やはり記者クラブ・電通のコントロール下でこういう報道をしているというのが正確です。室井さんもそういういうことを言いたいんでしょうけど、金子さんは商業主義的な帰結だと受けたといえるでしょう。
(裏金でもない限り)電通には触れないテレビ出演者の金子さんは本質でないことにすり替えています。本質ではないところに話が行ってしまうのは自分たちの利益のためであって、それは「無我」ではないからですし、個としてプリンシプルが無いからです。
小池都政には期待できないとして、その理由として国民が「テレビの向こうで観客になっているから」と金子さん。
「こっちは観たくないけど見せられるんだよ」と室井さん。
ここでもメディアの問題を「衆愚」のせいにする金子さんと、もっとメディアの構造的な問題を直観的に想定している室井さんのすれ違いを感じますね。
たとえば小池百合子の日本会議やヘイトスピーチ団体との関係を報道しなかったのは、テレビと視聴者の関係では説明できないでしょう。どうやって説明するんですか?
自分にとっては気に入らない要素だから無視するんですか?
金子さんは一生こういう感じなんでしょうか。やっぱり「壁」で弾いて人の意見を裡において吟味することが無いんですよ。厳しく言えば閉じられた世界で演じられる正義の味方ごっこと言えまいか。
システムの実態をしっかり見つめてもらいたいですね。
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