では城山でシラス台地の性質を散策。水をかなり吸収するので貯水タンクのように働くとのこと。下には泥岩の層がありそこに当たった境目から水が湧き出してきているのだそうです。
しかし城山は山城のようですけど、頂上で水を得られないとまずいですよね。どうなっているのだろう。
シラス台地は山城に適しているらしく、鹿児島にはお城がたくさん。こんなに要らないだろうとタモリさんの言葉ですけど、この前お城には年貢を徴収して貯めて置くという話を聞いたので税務署のようなものなのかもしれません。
薩摩も江戸時代にたくさん埋め立てをされているらしく、そういうところは本当に多いんですね。その区画は琉球などからの商人の居住区に。
薩摩は4人に一人が侍で5万人もいたのだそうですが、それを貿易の富で賄っており、それでも藩の年収3年分の蓄えがあったとのこと。
良く鎖国は管理貿易だと言いますけど管理できていないですよね。江戸幕府が薩摩の貿易を禁止して琉球を直轄にしていたらもっと江戸時代は続いただろうに。
西郷や大久保もリーダーだった郷中教育を解説。
対徳川を念頭に薩摩の侍はシラス台地を駆け回って心身を錬磨していたとこと。それを「山坂達者」というのだそうです。やはり身体性に支えられた精神が大切だったと考えていたのでしょう。日本伝統の智慧ですね。それが薩摩には色濃くあったのでしょう。やはり今の日本に必要なのは明治維新を支えた精神といえましょう。
常に徳川を仮想的として常在戦場。家庭も戦場であったとのこと。
あれだけ逆らったのに残してくれたのだから逆に徳川に感謝しても良いと思うんですが・・・・。これが名門島津家の誇りの高さであり、名門であるがゆえに家康も秀吉も潰すのをためらったんだと思うんですよね。
明治維新の決め手は戦国時代に培った徳川との同輩意識だというのが私の常日頃からの主張です。逆に自分たちの方が上だと思っていたんでしょうね。
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