片山さんの「ジェームズ・ディーンのようなマーラーだ」という評に惹かれて借りてきました。全く片山さんはレトリックも殊の外(格別に)素晴らしい評論家だと思います。
ブックレットの写真を見るに付け、ハーディングも隨分大人になりました。
ハーディングをしっかり聴くのは久しぶりです。ブラームスが出た時に聴いたのですが、小編成なのに彫が浅くて味が薄く、面白味が無かったので暫くパスしていました。ハーディングのような理屈に明るい雰囲気の人は、ブーラムスに合うことが多いのですがねぇ。
小編成を生かしたブラームスの録音では、ベルグルンドが素晴らしかったです。怜悧にして、歌う所は良く歌った演奏で、ベルグルンドの音楽がブラームスに即しているかどうかは別として、良いとか悪いとか、そういう批評を容易に寄せ付けない、独自の音楽を鳴らしていました。
マーラーはあんまり感想を書きませんけど、有名だったりする録音は結構聴いています。とはいえこの前某番組で、BGMにマーラーの断片が色々出てきたのですが、何番の何処だとかは殆ど分かりませんでした(笑)やはり余り親しい作曲家ではないですね。
第一楽章は、九番の第一楽章を一段と透明にした様な感じです。ここら辺は情感に満ち溢れた、本当に良い曲です。演奏は集中力に溢れていて、細く表情をつけていこうとしているのが分かります。ハーディングは10番の宣教師になるつもりのようですけど、その心意気が伝わって来るようです。
17分後半に転じて、マーラー独特のグロテスクな踊りが始まりそうになりますが、暫くすると元に戻ってきます。「ひぐらしのなく頃に」を読んだ時も思いましたけど、グロテスクなパートが無ければ、もっと好きなんですけどね。あるタイプの感情過多の人がそっちへ行ってしまうのは、一種の宿命のようです。
第二楽章のスケルツォは音が錯綜する、舞曲風の楽しい音楽です。
第三楽章の「煉獄」は名前の割にはインパクトが無い、沈潜したかのような短く静かな曲です。
第四楽章は再びスケルツォで、大地の歌の冒頭を思い起こさせるようなフレーズで始まります。これも楽しい雰囲気で、マーラー独特の弦の張り裂けるようなフレーズは随所にあるのですが、ハーディングは余り強調しませんね。奇矯にやるという方向よりは、綺麗に纏めようとしているのかも知れません。
章末にだんだん音が減衰していって、フィナーレに入ります。
第五楽章は弦がねっとり歌って、その上でたまにトランペットが何か呟くような音楽が続きます。
12:40辺りからやっと転じますが、それ程気持悪い音楽にはなりません。
16:00辺りから五番のアダージェットを思わせるような、切ない音楽が始まります。そしてそのままフェイドアウトしていって、消えたかと思った瞬間に、ほんの2、30秒、再び歌い始めて今度こそ終わります。人の臨終を模した感じ、ともいえるかもしれません。
全曲を聴いてみて、マーラーというより、グレツキの「悲歌のシンフォニー」と似たような方向性を感じました。
この前吉松隆さんの本を読んでいたら、グレツキの悲歌のシンフォニーが「「癒し系」で「そそる音楽」」として推薦されていました。文字通り推薦なのですが、それだけでない感情も勝手に感じます(笑)
宮下誠さんの新書にもセンチメンタルなのが好きな人には良いのではないか、との旨が書かれていました。
何はともあれ、「悲歌のシンフォニー」は売れたわけです。専門家筋には必ずしも受けが良い曲ではないのですが、大衆に訴える曲だということだと思います。大衆の一人である私もとても好きです(笑)
グレツキの話になってしまいましたが、ハーディングが「10番」に賭けた事には、大衆に訴える曲はどういうものか、という嗅覚が働いている様な気がします。
ラトルには業界を背負って立つ気概が有りますが、ハーディングにもそういう気概があるのではないでしょうか。バリバリのマーラーファンには物足りないかもしれませんし、演奏ももっと力強い表現になる余地があるかもしれませんが、私はハーディングの方向性を支持したいです。
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