東京都美術館 フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち

#その他芸術、アート

か・・・影があるっ、、(あたりまえ)ただ券を貰ったので、行って参りました。
フェルメールの頃のヨーロッパの絵画は写実的な物が多いですけど、そうなら写真の方が良いのか、といえば、良いものは良い作品ならではの艶めきのようなものを持っています。
理詰めで描かれるヨーロッパ絵画ですが、同じ様な外面からそれを見分けるわけで、日本画の鑑賞と比べても、同じくらい直感的なものを要求される気がします。

ヘイデンの「アウデ・デルフト運河から見た旧教会の眺望」はそういう良い作品だったと思います。空気遠近法が駆使されているそうですけど、ぼやっとした中に聳える教会の感じが、中々幻想的で、全くそういう色ではないですけど、全体的に薄い桃色の様な印象を受けました。

ハウクヘーストの「ウィレム沈黙公の廟墓があるデルフト新教会」は、教会内に入り込む強い光りと、それが浮き上がらせる人・物のなまめかしさが秀逸です。
写実性にこだわる事によって、表現の幅が狭くなることもありますけど、この光りの表現は、写実を積み上げて来た絵だけが使える、一種の必殺技ではないかと思いました(笑)

ファブリティウスは夭折したけど重要な人、ということで強調されていましたけど、「自画像」が落ち着いた、雑多な要素が適度に入っている感じの顔で、良かったです。この人の絵は、どちらかというと土っぽい雰囲気があって、中々でした。

メインのフェルメールは流石に良かったです。
それにしても、最近はフェルメールが流行っていて、年がら年中大規模な展覧会をやっているような、錯覚すらあります(笑)
日本に縁の深いゴッホは別として、日本人がヨーロッパの画家をここまで主体的に好んだのは初めてなのではないでしょうか。
その背景にはやっぱり、「なんとなく清らかだったら良いんじゃない」という神道の影響が有ると思います。日本人の深い所に沁み込む絵だから、ここまで受けているんだと思います。

この時期のオランダ絵画は、どれもすっきりした印象が有りますが、それでもフェルメールの清澄さは群を抜いていると思います。
「マルタとマリアの家のキリスト」はキリストの頭部の後光に独特の鮮烈さが有りました。寛いだ感じが良いです。
「リュートを調弦する女」で一番感じましたけど、フェルメールの光りは、印刷で見るよりずっと柔らかいですね。穏やかなレモン色が作品を包んでいます。

フェルメールの特徴は、ニュートラルなところにあるような気もします。カラヴァッジョの臨場感も無ければ、レンブラントの明るさも無く、なんとなくぼやっとしている中に佇んでいる所に惹かれます。「ディアナとニンフたち」も普通の神話の絵なんですが、そういう良さを感じました。

一番良かったのは「手紙を書く婦人と召使い」ですね。一番左の黒いカーテンの光りを放つような黒さ、その内側の白いカーテンの霞の様な軽さ、窓枠の良い仏像の光背の様な細かな造り、全体を包むまろやかでざらつきのある雰囲気。いろいろな質感が交響していて、実に良かったです。
あと、作品を観て感動した人たちの気持ちが、絵に張り付いていて、こっちに向かってくるような感覚がしたのですが、それはただの私の感情の動きだったかもしれません(笑)そういうぱぁっと放射するような華のある絵でした。

最後にフィルムや全作品の写真があるフロアがありました。
フェルメールの年譜と日本の年表が横並びので載っていたんですが、織田信長上洛や女歌舞伎の禁止、春海の作暦などと書いてある中に、柳生宗矩の没年が書いてあったのでやや驚きました(笑)文化的なトピックスだということでしょうか。

帰りは上野東照宮に寄りました。去年、サントリー美術館に行こうとして、日枝神社に迷い込んだ時も思いましたけど、神社の自然は実に格別です。階段の上から望める一面緑の風景、石畳の上に絶妙に加減されて漏れる陽光は、絵とはまた違った味わいがあります。左甚五郎作(らしい)の昇龍の彫り物も細かく力強く圧巻でした。

非常に混んでいましたけど、見終わってなお、面白さがじわじわと沸いてくるような、楽しい展覧会だったと思います。

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