ただ券を頂いたので、行って参りました。
最初の方はシャガールから。凄く昔の人のようなイメージがあったのですが、1985年まで生きていたそうで、驚きました。絵描きは長生きの人が多いですねぇ。
「酒飲み」はキュビズムを取り入れてみた、若い頃の作品だそうで、首の所が切れていました。デュフィの「モーツァルト」もヴァイオリンが切れているんですが、切れている所に意味を持たせてしまう所がここでは、ピカソの奔放さと異なる所です。オリジナルとの違いといった所でしょう。
シャガールの絵を見て注目させられたのは、物の形態が曖昧に簡略化されている事です。これはなんだろう・・・と考えたのですが、この曖昧さは人の記憶の中の情景に近いのではないかと思いました。物を描くのでは無く、記憶の底のようなものを描いているのがシャガールの絵なのではないか、と思いました。
色彩的には、青に深くへ落とされて、赫い生命に到達する、といった感じがします。「人物と青い猫」等がそんな感じで、同系等では「モンマルトルの恋人たち」が一番色彩が鮮烈で、力強かったです。
シャガールの本物を初めて見て思ったのは、日本で影響を受けている人が凄く多いのではないのか、ということです。絵とか、ちょっとしたアニメーションで似たような形態・色彩を見たことがあるような気がします(笑)
「誕生日の大きな花束」は、イバラードの原型の様な華やかな絵。こういうのも良かったです。
モディリアーニは気品がある、と解説に書かれていて、私はアフリカの原始美術に影響を受けた、力強い作家だと思っていたんですけど、周囲を見渡してみますと相対的に、やっぱり気品を強く感じる絵です。
首が長いのが特徴で、そういえば小林尽さんはキリンさんが好きだったなぁ、なんていう事を思い出しました。あの人が描く女性キャラクターも、品があるのが大きな特徴ですよねぇ。
レオナール・ツグハル・フジタの作品もどれも良かったです。最初の「猫」からして、ああ、日本画の世界にやってきた、と思わせる作品で、涵養された?繊細さがあります。
「薔薇」は長く伸びた茎が、抱一の草花を思わせる凛とした雰囲気(でも薔薇)
「横たわる裸婦」は日本画の絹布が使われているそうですし、「二人の裸婦」は余白が生きている作品。
「長い髪のユキ」は背景に塗り込められた黒が、漆と西洋的な闇の中間のような感じで、フジタの人生を感じます。
絵の向こうに確りと見えるのは、日本の良質な部分を核に強く持ちながら、西洋世界を取り込んでいったフジタの姿で、そういうのは素晴らしいですよねぇ。
ここから先も極めて充実した内容。
広大な風景画が幾つか有りましたが、地平線に向かって押し込み気味に描かれている背景を見て、広重の風景画は山水画的なんだなぁ、と改めて思いました(笑)
クールベの「シヨン城」は清涼な湖が綺麗でした。
ミレーの「犬を抱いた少女」はかわいらしさの極み。下の売店で、この絵が表にプリントされたチョコレートがあったので、買ってしまったのですが、美味しいし綺麗な箱なのでオススメです(笑)
可愛らしい子供といえば、観終わった後に、美術館の周りをまy散策していたら、セントラル子供劇団の建物があって、所属している大橋のぞみちゃんの活躍を祝う垂れ幕が下がっていました。のぞみちゃんはあれだけ出ているのに、あくまで本来の子供らしさを失わないのが凄いな、と思っていたのですが、きっと親が確りしていて、本人が確りしていて、もしかしたらプロ意識が強いのかもしれません。
同じくミレーの「一日の終わり」は得意の農家を描いたもので、立ち姿に人生が詰まった絵です。ミレーの落ち着いた色調は好きですねぇ。
ドガの「四人の踊り子」もバレエを芸術的に描くことによって、ミレーと同じく価値観を創出した作品。ドガは浮世絵の影響が強い人ですが、踊っている所ではなく、楽屋を描くセンスに広重の匂いを感じるかもしれません。連続写真のような、リズミカルな素晴らしい作品です。
「キューピッドと戯れるヴィーナス」は美しい裸婦を描いた作品。
カバネルの「ヴィーナス誕生」は有名な作品なので、ここに有って驚きました。背景の海との調和を無視しているかのような、大胆な構図とポーズに痺れます。
ルノワールも本物を初めて見ました。「横たわる裸婦」はこれまた魅力的な色彩とポーズで、単純な構図に宿った、ルノワールの享楽的な雰囲気が鼻腔をくすぐります。
常設展ですが、良品の多い、良い展覧会でした。青山の裏手にあるに相応しい、縦に長くも実質を備えた、オシャレな美術館だと思います。
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