たばこと塩の博物館 特別展 平木コレクションのすべて「浮世絵百華」 後期 浮世絵とは何であったか―浮世絵分化史学―

#その他芸術、アート

行って参りました。
この展覧会で強調されていたのは、浮世絵がこれだけ残っているのは、当時の人が価値が分かっていたからであって、決して西洋人だけが分かっていたわけではない、ということでした。
江戸人は江戸の文化をわかっていたのでしょうねぇ(当然?)

どうも明治初期の頃に書かれたものなどを読むと、子ども世代(明治人)が親世代(江戸人)を古臭いといって疎んじる、ということがあったようで、そのころから価値が認められなくなってきたのではないでしょうか。江戸人は江戸の文化に誇りを持っていたのでしょう。

鳥居清経の「九代目市村羽左衛門の白びやうし」は片足で立ちながらも、挙げた足の方に体が崩れるような、雰囲気があるところが綺麗です。

「絵解きをして腑に落ちる楽しみを支えられるように製作されている。「理屈」で解釈できるように浮世絵は構成されている。」
とのことで、分かることで面白いのだと思いますが、一方で理屈外の良さも実際にはあるわけで、物語と、物語を超えた深い所が小説にあるのと同様のことではないでしょうか。

渓斎英泉画の「豊年武都英」は遊女の絵を観て涎を垂らしている男が描かれていて、そういうものらしいです(笑)

山東京伝の「心学早染草」という本で、善玉悪玉というキャラクターが創出された、らしく、栄松斎長喜の「遊郭善玉悪玉」はその影響を受けた作品だそうです。

歌川国芳の「准源氏教訓図会 絵合」は雰囲気が猫そのもので、国芳の猫好きを思わせます。

最後の展示グループは使って遊ぶような浮世絵。絵師不明の「新板かつらつけ」はかつらのパーツはないんですが、描かれた役者たちにかつらを被せて楽しむものだったようです。
子どもばかりが楽しんだかといえば、そうでは無いというのがこのコーナーの趣向で、二代目歌川豊久の「新板糸細工 梶原源太 鎮西八郎為朝」は絵を見立てる簡単ではないもので、大人向けであったろうと推察されています。

今回は浮世絵とはなんであったか?を追及していく展覧会らしく、浮世絵を色々な角度から観た言葉が各所に。「大人の世界と子供の世界とに現代の我々のような厳とした垣根を設けないのが江戸時代であった。大人の世界に子供が入ってくるのを拒まず、大人も子どもの世界に入ってしばしの安らぎを得る」のが江戸時代の特徴らしいです。
この前、茂木健一郎さんがモーツァルトの番組で言っていたんですけど、子どもの心を持つことが創造性にとって重要で、これをネオテニー=幼児形成というそうです。最近は子どもの心を持ちながら大人になりやすくなってきている、モーツァルトは意外と23世紀位の人間なのではないか。といっていたのですが、そういう面から見れば江戸は未来的な所があると言えそうで、そういえば最近の江戸ブームも環境面であるとか、意外と未来志向であるなぁ、という印象を受けます。

かつての江戸ブームといえば、武士をサラリーマンに引きつけて、似ていたところを探して読んでみる様なものですとか、「今を以って古を解する」ようなものが多かった様な気がします。
もしくは、「学んだり手本になるもんじゃない」(うつくしく、やさしく、おろかなり 文庫版21ページ)と仰った、杉浦日向子さんの幻想至上の江戸といった感じとも違って、良いところを未来に生かして行こう、といった雰囲気もあります。
江戸を江戸のまま受け取る、「古を以って古を解する」式の質の良さを、昨今の江戸ブームからは、感じるような気がします。

そんな社会の雰囲気に、なんとなくも、応えた展覧会でもあったのではないでしょうか。研究を丁寧に散らした展示が楽しかったです。ありがとうございました。

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