行って参りました。
この前ふしぎ発見でやっていたこの展覧会にちなんだ特集が面白かったというのもあって、なかなか楽しみでした。
「疾駆する草原の征服者―遼 西夏 金 元 中国の歴史 (08) 」(杉山 正明 (著))では、 牧畜と定住のハイブリッド国家を構想した偉人として描かれていますが(何)なんでもこの番組によると、漢化してしまったために力が衰えてしまったらしく、衰亡の原因になったとのこと。
後のモンゴルにしても漢化が滅亡の原因だとされることが多いですが、モンゴル史家の杉山さんの著作は天変地異を強調しており、その説は採っていません。
漢文文献が中国文化が遊牧民を追い払った、という話しにまとめている可能性があるので、気をつけたいところ。
ただ、キタイが漢化して衰亡したとするとすれば、大元ウルスが後々まで定期的に移動して遊牧し続けた理由が教訓として説明がつくのかもしれません。
ほかにも例えば同シリーズの「中国の歴史 6 絢爛たる世界帝国 隋唐時代」(氣賀澤 保規 (著))では、恐らく主に漢文文献を駆使して、優れた中国文化と北朝の支配者達の葛藤が描かれるのですが、優れた中国文化、の内容が今一不明で本の中で説明されていないのが釈然としない本で古さを感じさせるんですよね。
今回の展覧会の中でも、出土品の見事さが野蛮な遊牧民族の王朝という固定観念を覆した、としていましたけど、遊牧民の文化というものの豊かさをもう一度見直す必要があるのではないでしょうか。
ついでにいえば、司馬遼太郎さんはモンゴルにエンプティという表現を使っていたと思うのですが、失礼な話です。
このまえなんとなくぐぐっていたら、司馬遼太郎さんが非焦点視について話している、という文章をみまして、実際に見たいところの周辺を見ると見たい所が良く見えるという内容。そういえばそういう記述があった気がするのですが、本当の非焦点視というのは周辺を観るとか、どこに視点を置くかということとはまったく次元の異なる、質的に異なることなんですよね。
司馬遼太郎さんは文明から外れたところから見ることで文明を見て行く、というがやり方だとご本人もいっていますけど、この非焦点視の話と通底するところがあるでしょう。
最近はモンゴルや中央アジアこそ世界史の中で決定的に重要で、それが行き過ぎではないかとモンゴルセントリズムなどといわれて批判されることがありますが、従来いわれれていたより格段に重要であることは間違いないようです。
司馬遼太郎さんにそのような視点はなく、「馬賊」の延長線上にあったと思います。
結局司馬遼太郎さんの非焦点視が持っていた欠陥と同じで、高い視点からの平明さを得ることがなく、文明と周辺を分ける強烈な相対性を際立たせるだけに終わってしまったと思います。
そしてやはりこれが万国公法式の視点と共通していることは見逃せないと思います。
まずは展覧会の注目は契丹のことをなんと呼ぶかで、展覧会では契丹・遼といった表記で統一。上で引用した「疾駆する草原の征服者―遼 西夏 金 元 中国の歴史 (08) 」(杉山 正明 (著))では、「キタイ」で統一されていて、こちらの方が現地音に適っているのでしょう。遼といった呼び方は中国よりとみて良いと思います。
契丹文字が少し展示されていましたけど、漢字とハングルの中間みたいな雰囲気も致しますね。
陳国の公主なる18歳の女性の墓で「鳳凰文冠」はかなり見事な王冠で、立派な光背を備えた道教神が彫られている所が特徴的です。
「水晶首飾り」は水晶の形がまったく整えられていないのが、素朴で好ましく感じました。
「山岳群人図壁画」は人力車が描かれているのですが、この時代からあったんですかね?
草原文化と唐の文化が混交した出品作が沢山出ていたのが特徴で、唐文化の後継者でもあるようです。そもそも唐自体が拓跋国家ですから、あたりまえともいえそうです。
第四章の「蒼天の仏国土」では仏教文化が紹介されていましたが、これだけで漢文文化のヴォリュームに決して劣らないと思うんですよね。もちろん漢文と仏教は密接な関係にありますが。
未だに当時建てられた巨大な白塔が草原の真ん中に残っているらしく、それを建てたのは女性なのだそうです。
美術的には「菩薩頭部」がなかなか美しい表情をしていて印象に残りました。
九州国立博物館が補修などで協力しているそうですが、保存が難しそうな発掘品も多く、なかなか大変だったと思います。ありがとうございました。
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