10月1日の森本毅郎さんのラジオではゲストがオスプレイは危険性の反面国防に役に立つので国論を二分している、といっていましたけど、国防に役立つという前提が疑わしく、二分しているのかも怪しく(世論調査によって違う)、そもそも一番尊重されるべきは地元の意思です。
10月1日のモーニングバードでは元文科省職員がストーカー容疑で逮捕されたニュースをやっていましたけど、現在は大学に再就職していて元職員という肩書きに。
コメンテーターの青木さんが国土交通省の役人がゼネコンに天下るのと変らない、といっていましたけど、大学への再就職が文科省の利権になっていて、今回の原発メーカーと経産省でも指摘されたような悪しき一体性を作り出している模様。
しばらくして東京女学館大学の閉校のニュースが流れましたけど、補助金頼みで無計画に大学を作るからこうなるのでしょう。併せてみると補助金をばら撒いて大学を作らせてそこに文科省の職員が再就職をするという構図が透けて観えます。
サンデーモーニングでは関口宏さんが、金子さんが自民党の政策を批判した時に、そうじゃない意見の人もいるでしょ、とわざわざ言っていたので、この人は自民党寄りなのでしょう。
シャラポアのことを綺麗なおねぇちゃんといって、名前が出てきませんでしたし、日本人の横綱と優勝はまだか、と言っていたのも、私には無い感覚で、キャスターとして疑問だと思います。
10月30日にはミスインターナショナルが着物を脱いで、といったところを水着を脱いで、と言い間違えて話題になりましたが、とぼけてる以外とりえが感じられず、一億二千万人も人口が居る国の日曜の朝の主要なニュースのキャスターに抜擢するには、とりあえず局の保身になる以外にメリットが感じられないと思います。
10月2日の大竹さんのラジオのゲストでは「冷たい熱帯魚」という映画を作った園子温監督が出ていましたが、この作品が良くて、いつでも声をかけてくれ、といっていた後援者の人達が、原発の映画を撮ると決めたらみんな手を引いてしまったという話をしていました。原発推進の自民党を応援しているから、というのが理由だそうです。
一方、フランスとかでは撮るのが当たり前で、そちらからの支援が出て「希望の国」という作品を撮る事が決まったそうです。もちろんフランスはフランスで矛盾の多い社会ですしタヴーもあると思うんですが、それにしても日本の情けなさは涙が出ます。
亜原子力ムラとでも周縁原子力ムラとでもいうのか、原子力ムラに遠慮することで結果として片棒を担いでしまっている人達が膨大だと思うんですよね。これが非常に困ったものですが、相対的に村から抜け出してもリスクの少ない人は多いところなので、日本人全体の力量が試されているといって良いでしょう。
それにしても、特に社会派ではなくとも原発に関連した作品なり世相なりを撮ってみたくなるのは映画監督なら普通の欲求として持ってしまうだろうとも思えるのですが、それを考えると北野たけしとかぬるいですよねぇ。
この番組は、次の日もこの「希望の国」という作品からゲストを呼んで宣伝に努めていましたけど、精の出る話です。
最近、永六輔さんも褒めていましたけど、大竹さんは良くやっていると思います。震災前はこんなにしっかりした人だとは、正直知りませんでした。
先般亡くなった若松監督も東電批判の映画を作ると決まったら、何億円もの寄付がすべて引いてしまったらしく、こういう社会の中で生きていく職業の人が東電批判をするのは事故後においてもなお致命傷であることが良くわかります。
これからこういうものを作ろうという人がいるなら、ネットでカンパを募るのが現実的かもしれませんね。
10月2日の報ステではスポットニュースで猪瀬副知事が東電病院を売却するように言っているというニュースを流しましたけど、前にも申しました通り、葉っぱの話であって、それでごまかさないで幹の話をするように指摘するべきだと思います。八百長はまかり通りません。
それにしても東電は釣堀にホテルに保養所に病院と、どれだけ巨大な(電気料金を財源にした)コングロマリットだったのかと。
古舘さんが報ステを引き継いだ時に、良く、そんなに力を入れなくても良いんですよ、と視聴者の人達がいっていましたけど、特に久米さんと比べるとギャップがありすぎたんだとおもうんですけど、これが古舘さんの特徴で、ガッと力の入った眼で文字通り視聴者を釘付けにするんですよね。
これはスポーツの中継だと没入しやすくて良いんですけど、夜のニュースだとみている方が寛ぎづらくて、特に初期はその場違いな感じがみんなかなり気になったんだと思うんですよね。
時事問題をみていくときにはこの眼力どういう風になるかというと、みえる所は徹底的に追及して行こうという姿勢に繋がるんですよね。だからあんまり他のキャスターと違って、なんとなくそれっぽい事を言っていい加減に妥協したり、あからさまな嘘を付かれる、ということは無いと思うんです。
ただ問題は、問題の本質が視界の外に行ってしまった時で、特に東電の解体についてはそうなのかなぁ、などと思っています。
ちなみに、たまに変に古舘さんを嫌う人がいますけど、それは釘付けにされるのを潜在的に嫌っている人でもあると思います。
栗山さんがいらっしゃって、人心掌握は出来ない、といっていましたけど、そういう意味では少し無理に視聴者を掌握しているようなアナウンサーとしての個性をされていると思うんですよね。
古舘さんは9月4日の報ステで、自然体は不自然の果てに、と注釈を加えていらっしゃいましたけど、もっとストレートに思い切って力を抜いてみて、視聴者をもっと自由な形で巻き込んでいくニュースのあり方もあるのではないかと、感じる時があります。
ちなみにこの栗山さんが来た時の回は面白かったですね。
対比として話題には上らなかったんですけど、誰も引き連れないで居ぬきで日ハムにいった栗山さんと、自分のスタッフを連れて行けないなら、といって横浜の監督を断った工藤さんの対比が鮮やかだったと思うんですよね。
やはり工藤さんという人は明確にこういう野球がやりたいんだ、というのがあって、それを実現していくタイプで、確乎とした解説にもそれが表れていると思うんですけど、栗山さんは周りに自分を合わせるんですよね。それで実は自分の独特の考えも多く持っているという。これはやっぱり野球人生の違いがとてもドラスティックに表れていると思います。
なので微妙にズレも感じたんですけど、今回は栗山さんの自由にさせた上で大きくまとめて行くやり方が勝ったと思いますし、日本の将来を考えた時に未来の正しい方向性を指し示しているようなやり方だと思いました。
活躍できない選手が悪いのでは無くて、教えられない自分が悪いんだ、ということも仰っていましたけど、政治的に観ていくと、やはりこれは新自由主義へのスマートなアンティテーゼになっていると思います。
栗山さんは気持ちを強調していましたけど、本当にそう思っている。言葉や気持ちの裏に真心が感じられるというのが一番素晴らしい所だと思うんですよね。読まれていた論語で言えば忠ですね。あとは、やはり知性を感じますよね。
十二球団の監督の中で、誰の下で働きたいかと考えればやはり圧倒的に栗山さんですね。星野は絶対嫌です。
10月2日は北野たけしが映画の宣伝で良く出ていて、ビストロで映画はテレビと違って金を払ってみているから文句をいう権利がある、といっていましたけど、テレビ局は公共の電波を使っている立場であり、良質な番組を社会に送り出す義務があります。そういう視点から観た時に非常にまずい状態にテレビ界が陥っているのではないかと思うのです。
NHKは料金を徴収していることについては中居君がフォローしていましたけど、機敏でしたね。
困った行動ということで、大人なのにいってはいけない事をいう、という事をやっていましたけど、あれだけテレビタックルをやっていて言ってはいけない事(本来はいうべきこと)をいったという話を知りません。
すし屋のお客に、おい!あいつカツラだぞ、といったということですが、カツラネタだけは言う所が爆笑問題の太田と同じで、現代のお笑いの限界として一致が薄ら寒いです。
10月3日の吉田照美さんのラジオでは福島の母親の声をやっていましたけど、放射能の事を話すと周囲から異端扱いをされるという事を仰っていて、まわりは公演に来た教授のいう事を信じているとのこと。吉田さんが言っていたと思うんですけど、非国民のような扱いなのだと思います。
福島は他と較べても放射能の情報から遮断されている、ということで、国の節約策の犧牲になっているのだと思います。
福島での山下俊一の電波な講演や、細野が健康が悪くなっても自分の責任だと思ってください、などといったというのは、沢山取り上げて掘り下げるべきニュースですが、テレビで観る事はありません。
10月4日の吉田照美さんのラジオによると、最近ひっそり福島の事故当時の雨汚染データが発表されたとのことで、地元の人の怒りを生で伝えていましたけど、こういったニュースをテレビで観ることはありません。本来なら大きな時間を割いて伝えて、データを隠す決断をした人の責任を追及するべきです。
更には、地元の人の怒りをまったく伝えないのが、犯罪的といって良いと思います。
そういった声を伝えないで、かわいそうな「弱者」に仕立て上げて、主張を無視しようとしているのではないかと思います。
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