東京国立博物館140周年 古事記1300年・出雲大社大遷宮 特別展「出雲―聖地の至宝―」その2

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行って参りました。

最初の展示室の大きな出し物は古代神殿の縮尺復元と、発掘された巨大な杉の柱で、当時は48メートルあったとのこと。
古代からの伝承にあったそうなのですが、誇大だろうと誰も信じておらず、伝承どおりの杉の巨大柱が出てきてはじめて事実だったと明らかになったとのこと。

中国では例えば、漢文文献は誇大なものではないかと思ってしまうのですが、白川静さんによると青銅器の文言など古代の文献はとても皆正直らしく、日本の古代文献にも同じことが言えるのかもしれません。

一つの柱には巨大杉が三本まとめて使われていて、恐らく現代では材料的な面からいっても、作れない様な気がしますし、もし作れても自然保護の観点から無理が出そうです。

檜は日本の特産品、は西岡常一棟梁の口癖のようなものですが、日本か台湾のものが他とは物が違うらしく、棟梁は台湾からたくさんひっぱって来たようですけど、海外で育成したものを使うのは申し訳がないですよね。育成しないと使う資格が無いように思います。

「騎獅文殊菩薩像」は1667年の出雲大社の仏教色一掃で流出したらしく、以降は松江藩の持ち物になっていたとのこと。以前は混淆していて自然だったのが、この頃に違和感を感じるようになってきたということでしょう。

いわゆる神仏分離で、もちろん明治の神仏分離は過去と断絶するぐらいの強引な政策でしたが、それ以前にもそういった傾向が僅かにあって、それが強まっていっていたことが見て取れます。

明治の政策は江戸以前に萌芽が見出せるものが多く、たとえば国民皆兵に先駆けて、日本各地で農民を兵士にする例がありましたし、「権威のない天皇」(「いのち」と帝国日本 (全集 日本の歴史 14) 小松 裕 (著) 173ページ)とあるように明治初期には権威がなかった天皇ですが、それでも幕末に向けてすこしづつ注目され始めてはいたでしょう。

実は神仏分離もその一つだったのかもしれません。

美術的にも非常に優れていて、獅子の怪しげな力強さを余裕で操る文殊菩薩の佇まいが厳かです。人間もいわゆる白川静さんがよくおっしゃる「狂」の様な部分と理性、もしくは智慧などで構成されていて、このように動物に騎乗させないと描き表せない精神世界が存在するとおもいます。実際は狂も智慧も両方の要素を総合したもので、正しい喩えではなくて、あえて言えばということですが、そういう狙いをエレガントかつ激越に表現できた仏画ではないかと思います。

銅剣には×印が付いていて意味はわかっていないとのことですが、白川静ファンの私としては文身の一種としたいところ(字統の文の項を参照)。これで青銅器を清めたのでしょう。
山の中腹に大量に埋められていて、意味は未だに良くわかっていないとのことですが、白川静さんによると、青銅器は境界に埋めて敵を圧伏するものらしく、地図を観ても発見された荒神谷も加茂岩倉も出雲大社を中心とした勢力がいたとしたらそれを守るような位地に埋められています。

模造の銅剣も展示してあったのが良い所で、出来たては煌びやかですよね。

銅鐸にはいかにも古代人らしい鹿やとんぼの線画が描かれていて、当時の人の感性が偲ばれます。

仏像では「観音菩薩立像」がすばらしく、すっと立った姿が衣紋とともに水が滴り落ちるようです。両膝は自然に僅かに曲がり、腰は僅かに出ていて、あごも自然に上がっています。正面に立つと中心線がぴったりと合うのが気持ちよく、20分くらい眺めていて感興は深まるばかりでした。

微笑みも美しく手印も柔らかで、瓶をかかすかにつまむ手が瀟洒です。

飛鳥時代の人が父母に捧げたものだそうで、衣紋は単純で質量は軽く、中央のものと較べて精緻さにかけるので、出雲の地元で作られた可能性があるとのこと。
カタログによると銅製で金箔が張ってあったもよう。

「彩絵檜扇」は平安時代の扇で残っているものとして最古とのこと。日本の発明品の、一番古いものとして重要でしょう。

神像では「女神坐像」が丸っこくて良い感じ。「魔多羅神坐像」は莞爾と大笑する、細かく表現された神像で、円仁が請来したとのこと。神像でこれだけ観て雰囲気が良いのは稀です。
逆に女神像の「比売神坐像」は半眼で厳しい表情で、衣紋が柔らかく丁寧に彫られています。

出雲は重要なんですが、なにぶん古代過ぎて見通しが霞がかっていて、展示するほどのものがどれだけあるのだろうと思っていたのですが、色々な品があって面白かったです。出雲は古代というだけではなくてそれを基点とした歴史の連続の中にあることを理解いたしました。ありがとうございました。

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