行って参りました。
この日は桜も満開で、町全体が穏やかに浮き立つ感じ。
ほとんど人が通らない美術館の前では、モデルの方が撮影をされていて、華やかです。
女性がたくさんいたのは、ガールズアワードがあったからなんですね。
一階の小部屋には阪井茂治さんという現代の鍋島・伊万里作家の人の作品が出ていましたが、にわかには江戸時代のものとは区別がつきません。直観的に言えば、江戸時代のものの方が少し絵の凝縮力が強いようには感じますが。
やはり鑑定士の人は分かるのでしょうか。ほこたてでやって欲しいと思います。しかし真っ先に思い浮かびそうな企画ではあるので、調整が難航したのでしょうかね。それともこの番組はけっこう企業の宣伝を兼ねた様な不純なものもみられますから、そういう線から外れた企画ということになってしまうのでしょうか。
中島誠之助さんによると、鍋島は重心が厳密にできているので、本物は高台に指を引っ掛けてやじろべえのようにぷらぷらと持てるのだとのこと。この器でも持てるのか試してみたい所。
二階の小部屋では鍋島の歴史について触れられていましたが、鍋島の呼称は大正5年。鍋島藩窯といういいかたは昭和28年以来であるとの事。
日本の美術品は漢字だらけのそっけないものが多いですけど、焼き物も絵もそれらの名前の大半は後世に付けられたもの。ちょっと戦前のいかめしい気風を継承しているといっても良いでしょう。ということで板橋美術館では現代に即した名前をつけていますが、焼き物でもそういう現代的な、ひらがなを生かしたような呼称をつけることで清新な印象を与えることも可能なのかもしれません。
鍋島は佐賀藩で焼かれたものなので葉隠についても触れられていましたが「文治主義をとった三代藩主光茂の治世に反発して生まれたと言われています。藩政草創期の勝重時代から仕えた定朝にとっては太平の世の武士のあり方は受け入れ難かったのでしょう」とのこと。
「江戸武士の日常生活」((講談社選書メチエ)柴田 純 (著))では、葉隠について、戦国の武士道とは異質なものと位置づけていますので、この解説は説が古い可能性があります。
この日の解説は新鋭の人だそうで、緊張しているとの事。いつもの人が歴史とか故事を照らし合わせて解説してくれるのに対して、今回の人はデザインや色彩について、美術的な視点で語ってくれる事が多かったのですが、どこまでが人の特質なのか、今回の展示内容に即したものなのかは不明。
「染付 柘榴文 皿」は仲立ち紙という型紙でコピーされた製品であるとのこと。
「青磁 瓜型香炉」は戸栗美術館でよく展示されている作品ですが、瓜の葉の質感が見事。美術作品は違う材質でそのものを再現する作品が多く、根本的にはすべてそうであるともいえます。古今東西の美術品を観ていくと、あらゆる美術は本質的にトリックアートなのだな、という思いを強く持ちます。
「青磁 獅子置物」も獅子を丁寧かつユーモラスに表現しています。ここら辺の大川内山の窯は青磁を焼くための良い土をとるためにここら辺に構えているらしく、青磁は出来が良いのだとのこと。
伊万里焼の「染付 唐子文 角樽形瓶」は木樽を模倣した、質感表現が見事な一品。
「色絵 龍唐花文 皿」は臍皿といって、お臍型に縁が盛り上がっている変わった作品。柿右衛門と金襴手の中間の様式を示しているとのこと。
こうやって絵柄を観るていくと、マイセンと比べても神話に題材をとったものが少ないような気がします。
やはりそれは、前にも書きましたけど「皇室とういう王朝の歴史を中心として、そこに神話や伝説が織り成されて編纂されています」(東洋のこころ 31ページ)ので「命を失ったのではないか」(中国の神話 白川静 333ページ)ということでしょうhttps://iroironakizi.work/2011/05/21/51752154/
。
付け足せば、一度東方によって東方化されて、それを再度引用する形を取ることによって、国家神話から引き剥がされ、神話が神話としての生命力を取り戻してきているんじゃないかと思うんですよね。
ずっと封印されていた神話の起爆力。それが息が長い東方ブームのひとつの本質だと思います。これは専門に神話・美術を研究している人達からみても興味深い題材だと思うんですが、あんまりそういう研究は聞きませんね。
あと、上のリンクの先で脱構築的と書きましたけど、東方はとことん脱構築的なんですよね。みんな横にずれる。
例えば、「逃がすぜ」という魔理沙の有名な台詞がありますけど、ああいうのも普通に相手の言葉をうけて言えば、逃がさないぞ、とか、そういう台詞になる。東方のお話を全般的にみても、会話・ストーリーが必ずしも積み重なる形で進まず、なんとなく横にずれていくんですよね。
魔理沙の解説でも、水平的、という言葉が使われているみたいですね。
作曲でも低音部が同じ形でずれて行く。転調でずれる。
曲自体も色々あるんですけど、根本から別物の曲というのはほとんどなく、基本的な作り方があって、それのヴァリエーションといった感じで、横にずれて行く。
キャラクターも基本の作りがあって、後はZUN帽のヴァリエーションなどで、横にずれて行くかたちでキャラクターが増えて行く。
そもそも縦シュー自体が横にずれるのが基本です。
どこまでも脱構築的で行っても行っても終わりが無い。どこまでもファンが空間を漂っていくことができる、というのが、上の神話的な豊かさと相俟って、東方の大きな魅力を構築していると思います。
さらっとみてきてしまいましたが、いつもながら、お皿が割れ無い様な耐震の工夫や、裏からみられる鏡の工夫。懇切丁寧な展示解説など、この美術館の真面目で真っ当なお仕事には頭が下がります。楽しかったです。ありがとうございました。
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