それにしてもテレビは何から何までイギリスの王室の出産のニュースばかりで、ひどい状態です。参院選前のこの時期に、本当にみんなそのようなことに関心があるのでしょうか。サボタージュ以外の何物でもありません。電波の使用権は返却するべきです。
そもそも学校では人は平等であると教えているでしょう。このようなニュースはそういった考えに反しますが、そのことに対する恥じらいがないのも、おかしな感覚だと思います。
朝から西松建設の裏金の話で、東電のとんでもない実態が明らかになろうとしているというのに、これだけ無視をして本当に心に何も感じないのでしょうか!(感じない)
参院選の候補者にワタミの社長をはじめずいぶんいわくつきの人が出ているみたいですが、テレビなどの報道は全くなし。SPEEDIを公開しなかったことは正しいと思うか、などと堂々と問うべきです。(それでは政府に都合のよい報道はできませんが)
インドやトルコから原発輸出反対を訴えに来ている人達がいるというのですが、そういったことも取り上げられません。
この間にオーストリアは完全原発ゼロにし輸入電力も脱原発することに決めましたが、電波には全く乗りません。
「放送各社、パナ社「スマート」テレビのCMを拒否」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130708-00000050-jij_afp-bus_all)
も、CM拒否ならまだしも、とはいえないですけど、拒否をした事を報道しないことがさらに卑怯だと思います。
パナソニックは徹底的な市場調査に特色がある企業といわれていますが、そういったことをする中で、こういったものを消費者が欲しがっていることを感じざるを得なかったんじゃないですかね。
今月の「知恵泉」は既得権打破ということで信長を取り上げていましたけど、クローズアップしたのは、最近批判されがちな楽市楽座。信長の独自性が疑われている政策で、番組中でもさりげなく、楽市楽座は信長の前から行われていました、とフォローが入っていました。そのあとに番組は関所の撤廃に信長の独自性を求めましたが、これも武田信玄の専売特許ともいえる政策です。番組中では解説されませんでしたが。
今回はいつもは学者さんが座っている席に、小説家の方が座られていましたが、学者的にはちょっと解釈に無理があったのではないか、と感じないこともありません。
また楽市楽座には欠点も多く、楽市楽座のウィキペディアには秀吉時代の末期に欠点が露呈したと指摘されています。そもそも本当に規制緩和なのかという疑問符すらついています。
楽市楽座が信長の独創としてもてはやされた時期は、日本が環境などを顧みずに貿易立国を目指して、商業を重視し、社会がどんどん新自由主義化して行き、ろくに規制もしないで、バブル崩壊に向けて突っ走った時期と重なります。そのことには注意しなければなりません。
また、東西対立が存在したことも見逃せないでしょう。
孫への贈与が拡大されるなど自由に基づく格差が固定される政策がとられ、NHKが偏向報道を繰り返して、政府が対米追従で無理矢理TPPに参加したこの時期に、そのような説がまたこのようなところで取り上げられることに、再び時代を感じるべきなのでしょうか。
それはともかく、戦国から安土桃山にかけて中世の商業形態が崩壊して、江戸期の活発な市場経済を導いたとは言えるのではないかと思います。江戸の人口は世界一であった、ともいわれますが、そのような繁栄の礎になったといってよいでしょう。
信長の既得権打破といえば、例えば農民が土地を所有する基礎を切り開いたことが重要でしょう。「生産社会を支配する人たちが、社会の政治を握らなかったのはなぜだろう。それは、織田信長や豊臣秀吉・徳川家康が、封建社会の仕組みを根底からたたきこわしたからだと思う。」(百姓の江戸時代 (ちくま新書)田中 圭一 (著) 32ページ)らしく、「百姓ははじめて土地の所有権を持つことにな」ったとのこと。その結果「また、農民は土地に縛りつけられ、領主裁判に服する、というヨーロッパ農奴社会特有のきめごとも江戸時代の日本にはとてもあてはまるものではない。」(同51ページ)といった状況になっていたそう。
なので明治維新の際には「フランス革命の土地改革は<むしろ明確に「地主的なもの」だった>」(文明国をめざして (全集 日本の歴史 13) 牧原 憲夫 (著) 150ページ)のに対して「わが国の百姓は,償わずして自主の民>となり、すべての耕地を手に入れた」(同150ページ)とのことで「その意味では、明治維新は西欧以上に「近代的」な変革だったといえるのではなかろうか。」(同160ページ)と結ばれています。
これは明らかにすでに江戸時代に百姓の土地所有が成立していたことに起因します。そしてその礎を築いたのが信長であり秀吉・家康であるわけです。
そしてこのように良い意味で近代化に徹底的に成功したことは、戦後の中流の分厚さや国民皆保険などの制度と必ず関係があります。
江戸時代を調べていると信長の既得権打破の強烈な偉大さを痛感することが多く、それは知らず知らずに現代に受け継がれているといえるでしょう。
アメリカで患者を収容しに来た救急車が、患者が保険に加入していないと知るや路上に捨て置いて走り去っていく映像が公開されて、日本でもカルチャーショックを引き起しましたが、アメリカ人が捨てられて日本人が収容されていくこの違いは、極論すればアメリカが歴史の中で信長を持つことができなかったからだ、といっても過言ではありません。
TPPで国民皆保険制度も危うくなり、他の分野でも日本はこういったアドヴァンテージを手放しつつありますが、そういった愚挙を防ぎ、原子力ムラをはじめとした既得権を打ち破り、あのときにあの時代の人が既得権を打ち壊してくれたから、私たちは住みよいのだな、と未来の人に思っていただけるような福田を残すことができれば、現代の人間として甚だ幸せなことだと思います。
7月17日の午後6時15分ごろのスーパーJチャンネルでは「柏崎刈羽の新安全策、東電が地元村議会で説明」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130717-00000659-yom-sci)のニュースをやっていましたが、刈羽村の村議会は反対一色で、さすがにこの前の泉田知事の時のように、あたかも市町村長は賛成であるかのような、歪んだ報道は不可能です。
新潟は福井などと違って、柏崎刈羽しかないので廃炉にしても、政府が次の産業を興すことに関して無策でも結構やっていけるみたいなんですよね。
VTR後にスタジオに戻って、読売出身の大谷コメンテーターが「地元の了解は絶対条件ではない」と発言。さすがにわずかに慌てて渡辺アナウンサーが、地元を広くとるということですね、とやや常識的な話に戻そうとしましたが、文脈が苦しすぎます。すると再び大谷コメンテーターは、受益者が決めるべき、というわけのわからないことを言い出しましたが、結局は地元の了解なしに東電や政府が決められることだということの模様。
これだけ原子力ムラ報道を繰り返して、恥もせず、振り返りもせず、しゃあしゃあと日々のニュースを続けていくというのは一体どういうことなのか。拝金主義で倫理が崩壊していて、もはや「人」の意見の体をなしていない、というのが実態ではないでしょうか。
7月17日の午後5時半ごろのNスタでは、気仙沼のふかひれが好調であるということをやっていましたが、これはぐぐるとすぐに出てくるように、TPPで死滅させられる可能性があります。報道としては、そのようなことを絡めて問題提起をしていくのが最低限ではないでしょうか。TPPにしても原発にしても、戦争でたとえれば「前線の兵士はよく戦っています!」というような内容ばかりだと思うのです。
続いては「江戸前海水浴 51年ぶり悲願の復活!葛西海浜公園で海開き」(http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/07/16/kiji/K20130716006226800.html)をやっていましたが、大腸菌の基準があって、まだ顔をつけてはいけない水質であるとのこと。それはそれとして、東京湾の放射能汚染は非常に深刻です。特に真横を流れる江戸川の真水と海水の境界は危険で、ここは一番危ない場所と言って過言ではありません。それをやらないのはニュースとして偏っています。
VTR中には小さな子供を連れてきていた人がいましたけど、やめたほうが良いですし、そのように考えるような情報を出さない政府・メディアの怠慢もとんでもない酷さといえます。
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