集団的自衛権で新たな「定義」案

#その他文化活動

「集団的自衛権で新たな「定義」案」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=38765)では党首討論を放送。改憲なしに閣議決定で解釈改憲を行おうとし、質問には答えずに、国民の命を守るためだとだけ繰り返す首相について、恵村コメンテーターが、民主党は割れているので日本をどう守るのか示すことができない、それを安倍首相に見透かされている、とコメント。

解釈改憲がなぜ国を守ることになるのか、という視点が恵村コメンテーターにもそれを受ける古舘さんにもありません。

404 NOT FOUND | 社会通鑑~See through the media&society~
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少しでもいい位置にいたい、甘い蜜にありつきたいといった、何か心に邪なものが、コメントに反映されているのではないでしょうか。

基本的に袋叩きにあって酷い目に遭う覚悟が無い人はメディア関係の仕事についてはいけません。

同時間帯では、トヨタの奥田碩がスポンサーから撤退することでニュースステーションに圧力をかけたのは有名です。なぜこのようなことが起きるのか。

アメリカにはタイムCM(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0CM
が無くスポットCM(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88CM
しか無いといいます。タイムCMがあるが故の圧力であって、これを廃止する必要があるのではないか。

また、アメリカは制作とネットワークと放送が全く分離しているといわれます。日本でもこれを行って報道から、このような営業部門の影響を排除する必要があるのではないか。

これによってhttp://blogos.com/article/49186/で指摘されているような違法性のある報道と営業の癒着を断ち切ることができます。

こういったことは偏向報道を非難する学者やフリーの人などの意見の中でも聞いたことが無いのですけど、広告代理店の一業種一社ルールなどと同時に、必要なことだと思います。

「集団的自衛権行使で想定、「米艦で邦人救出」米拒む 過去の交渉」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11192419.html)はラジオではいくらか取り上げられていますけど、テレビでやらなければ結局なかったことにできますからね。

「武器輸出歯止め策の正体」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2014061602000133.html)をもとに、16日の大竹まことさんのラジオでは武器輸出の緩和に触れ、クラスター爆弾を禁止する条約に加盟する気が初めからないアメリカには条約違反になることがなく輸出できる、といったという話。

その際の輸出じゃない、移転なんだ、といった、といった詭弁や言いかえの数々も問題に。
ますます玉砕・転進っぽい世の中に近づいております。

サンデーモーニングでは「特攻隊員遺書「日本の視点のみ」 記憶遺産候補ならず(http://www.asahi.com/articles/ASG6B3S8QG6BTLTB00J.html)について萱野稔人さんが、遺書であって美化するものではない、といっていましたが、安倍政権が提出するものとして文脈は明らかです。

「第一次大戦における三大兵器といえば戦車、毒ガス、航空機だが、このうち前者と航空機はおよそ違った性格を持っている。(中略)飛行機だけは天空をかけるその奔放な姿と空に対する人々の憧れを背景に、悲惨で過酷な戦争に一条の光を投げかけるようなイメージを発揮したのである。」(「空の帝国 アメリカの20世紀」(興亡の世界史) 生井 英考 (著)79ページ)という効果を狙っている所も見逃せないところ。

本質的には戦車、毒ガス、と変わらず、チハ車に載せられた人も特攻と同じくらい特攻的だったかもしれない。

これは宮崎駿さんの作品もこの範疇に入ると思うんですよね。ご本人は戦争を綺麗に描いているのではないか、という視線は払拭されたがっているように思いますが、そもそも航空機というものを綺麗に見過ぎているということはあるのではないでしょうか。

今誤変換で出てきたんですけど、特攻ではなく特高を世界記憶遺産に申請するほうが平和に貢献します。

「風をよむ」はコートジボワール特集。

大宅映子氏は、雨季でみんな流れてやる気がなくなってしまう、とマックス・ウェーバーの差別的な感覚を思わせる発言を。本当にとんでもないコメンテーターをずっと招いているものです。

岸井主筆が言うには、アフリカでは人権お構いなしの中国や植民地化の歴史を持つ西洋諸国に対して「日本だけは信頼できるはずだ」と思われているとのことですが、これは本音なのでしょう。

地理的に遠いこともあって、日本は純粋な援助ができるはずですし、実際してきたのだと思います。

12日のそもそも総研は米飯文化について。

アメリカが日本人が小麦を好むようにプロパガンダを行ったということは有名。

当時の学者が米を食べると頭が悪くなるとか、水田で作るので性格が陰湿になるといった非科学的なことを言っていたのを紹介。ここら辺の話は私は昔に「コメの話」((新潮文庫) 井上 ひさし (著))のシリーズで読みましたけど、本当に酷いです。

こういうのは過去のことではなくて、必ずしも科学的にすっぱりと否定できない部分でかなり生きていると思います。

私が日頃批判しているマックス・ウェーバー的な言説もその有力な一つだと思います。

当時の風潮として、残飯を与えると鯉も生きぐされのようになる。パンを与えると元気だ。という天声人語を紹介。
戦前戦後と本当に朝日など新聞は体質が変わりません。

松尾さんが知育・徳育・体育・食育が大切だと言っていましたけど、給食が貴重な食育の機会だというのは、もっと広まらなければならない感覚ですよね。

文化とナショナリズムに対する誤謬にやんわりとくぎを刺す品の良い特集だったのではないでしょうか。(もっと差し迫ったニュースもたくさんありますが)

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