海外記者にどう映る 塩村都議、ヤジ問題で会見

#その他文化活動

24日の「エブリィ」では子どもの貧困を特集。支援をするNPO法人などについてやりましたが、大竹さんのラジオでこの前、湯浅誠さんが言うにはこういった所への寄付による税の控除が今度から受けられなくなるから寄付をする人は減るだろう。法人税を上げる一方でこういったほとんど収入にならないところをほじくっている、ということ。湯浅さんが言うことなのか、と思いますが、ひどい話です。番組中ではそのことはやりませんでしたね。

「外相 河野談話継承を丁寧に説明する考え」(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140624/k10015457591000.html)で「ネトウヨ内閣」で暴走を続ける安倍をもってしても、動かしがたいことが分かったでしょう。

黒を白と言って日本の国益を損ねてきたネトウヨはまずは泣きながら謝って、身近な親切とまっとうな自己研鑚からやり直してもらいたいと思います。

「女性議員へのやじ、自民都議が謝罪―過去には尖閣上陸も」(http://realtime.wsj.com/japan/2014/06/23/)も併せてですね。

「<池袋事故>駅近くの歩道に車突っ込む 1人死亡6人けが」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140624-00000148-mai-soci
は本来なら過去の関連事件としてAKBの「教頭先生」の報道をやってしかるべきです。

その時に拝金主義に走らずにしっかり問題にしておけば防げた事件だったかもしれないのです。

「サントリー新社長にローソンの新浪氏」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=38878)とのことですけど、サントリーは美術館・ホールによく行くお世話になっている企業なので、原子力ムラの人間をトップに迎えることはとても残念です。

そこら辺は未知数ですけど、文化部門とかも縮小しちゃうような人なのではないですかね。

テレビは本当にパソナ問題をやりません。まさに闇に葬られようとしています。
自民党のマイナスになることはやらないことになっているみたいですからね。

24日の大竹さんのラジオでは、遊びは芸の肥やしというのは違う。将棋は技術だと割り切っているという羽生さんの有名な言葉を紹介。

大竹さんは否定しきれていませんでしたけど、職業が違いますからね。太田さんはしっかりその部分を指摘していましたね。

将棋はもともと博打打ちっぽい要素がありましたし、そういった伝統なのかもしくは直近の上の世代に遊び人が多かったのか知りませんけど、ただの言い訳で改めて明言しなくても良いくらいの話し。

以前は将棋と人生は重なるというのが主流だった。そこで羽生さんが出てきて、将棋はゲーム、頭脳スポーツと言い切った、という話。

そう思われているのか、そもそも「人生」の意味するところが微妙に違うとか、あるのでしょうか。

羽生さんのスッキリした生き方と、棋風はとても共通していますよね。

「法人税減税を“骨抜き”に…沖縄「経済特区」の現状」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=38865
は醜悪な権力欲の極み。しかしその権力欲にnoと言えない政権ばかりなのが酷いところです。ただ、もっと深い根を探せば官僚を優秀だと思い込んでいる、依存的な国民のあり方を変えていかなければなりません。

「海外記者にどう映る 塩村都議、ヤジ問題で会見」(http://www.asahi.com/articles/ASG6S6VLYG6SUTIL05K.html)の一連の問題では、野次を受けたときに塩村議員が笑ってしまったことにわずかに疑問の声が出ていますが、ちょっと笑っておけばよいという考えが頭にあって、こういう時にも出てしまったんじゃないかと思うんですよね。

何を言われても笑ってごまかすことが男社会を生きていく術であると考えるようになってしまったのではないでしょう。

もし、土井たか子とかだったら正面から指さして凄かったでしょう。そういう人はそもそも「みんな」にはいかないし、上の方もコントロールしにくいでしょうから公認しないかもしれませんが。

声も「ありまぁす」系といいますか、アニメ声的なちょっと高い近頃の男性が好みそうな高音の声を出すんですよね。女性同士で話している時はこういう声はまず出さないでしょう。

謝罪を受けたときも、議員をさん付けで呼んでいましたが、ここは鈴木議員と言うべきです。

2~30年前は女性のしゃべり方というのは決まっていてある意味がんじがらめだったわけですが、こういうようなしゃべり方をする人はいなかった。

自由になった分、たしかに汚い言葉遣いをする人はいるのですが、それ以外になるとこういう男性に媚びたような声をする人が非常に多くなっていると感じています。その方が男性社会の中で生きていく上で有利なのだと思う。

新自由主義になって専業主婦志望が増えたような原理がここでも働いているのだと思います。

サッカーの代表のように、自由を使いこなせていない状況ともいえる。規範が無くなるとあらぬ方向に崩れて行くものですが、がんじがらめではない品のある規範を女性社会で確立してもらいたいものです。

とべさるではフィフィさんが批判していましたけど、これも同感です。このような発言では、この塩村議員も女性全体に謝らなければいけないくらいだと思います。謝罪を受けることすらできないのか、と思います。どこもかしこもあらゆる意味でぐちゃぐちゃしてどうしようもない状況です。

「フィフィが塩村都議を批判「議員失格」」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140624-00000071-nksports-ent)についても理解できます。

佐高信が、海外で自民党政権を批判された社会党員が、その通りとは言え自国のことなので言われたくない、と怒ったことを誉めていましたけど、同じようなことが言えます。

問題を発信するにしても、特に議員であれば自国に対してそういった気概は必須で、第三者になってはいけないと考えています。

特に多くの偏見に晒されているイスラム圏の人のコメントとして共感するものです。そしてそのような偏見は本来他人ごとではないのです。

「(Media Times)NYタイムズ、編集主幹解任の裏は」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11165100.html)には事件の「背景に米国で今も残る女性への給与差別があることを示唆した。」とのこと。女性の登用が進んでいるように見える欧米でも表面に出てこないような差別があるのです。ほかにも欧米と比べて日本は家庭で家計の主導権を女性が握っている率が高いことが知られています。

紀行番組で家庭の雰囲気とかを観ても、19世紀の女性が男性の所有物とされていた時代の感じは残っていたりします。

確かに日本の女性を取り巻く環境は改善すべき部分に満ちていますが、だからといって、自分を欧米側において第三者のように日本を批判すれば改善されるものではないのです。

むしろそういう姿勢こそが、日本の女性の置かれている立場を根本から見詰めて改善することを妨げてきたのではないかと指摘します。

「その場でつまみ出せばよかった」というのもまさにその通り。

他にも発言者がいるといわれているにもかかわらず、追及の話を聞きません。

みんなは実質自民なので「首相 やじ問題で浅尾代表に陳謝」(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140624/k10015458041000.html)ということで女性不在のやり取りの中で終わり、男性の欲望の世界で、これでしゃんしゃんということでおしまい、ということになったといえるでしょう。

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