1日の吉田照美さんのラジオでは榎本健一さんの「これが自由というものか」という歌をかけましたけど、今の時代はこれは発売できないでしょう。
どれだけ戦後に民主主義が後退したのかと思います。
スポーツではパックンと二人で、選手をてのひら返しで非難するのは良くない、という話を。
しかし、強豪国はみんな負けたら厳しい非難をされる、ということをスポーツジャーナリストの人はみんな知っているというのもあるでしょう。
実際怒っていなくても怒らなくてはいけないくらいだと思います。怒らないと構造が変わらないのはどこの分野でも同じです。
たとえば「ミラクルボディー 第一回“変幻自在”の至宝」では日本人選手が膝から下だけしか使って蹴れないのに、ネイマールは足全体を使って鞭のように蹴っているということを特集。
何故その差ができるのかというと、日本では子供のころから教師が細かい結果を求めて、たとえば枠を外すと叱る。すると、膝から下だけを使ってちょこんと蹴っただけの方がコントロールは付くので、叱られないようにそういう風に蹴る癖がつく。そういう子どもが代表になり、結果が出ない、ということになります。
逆にストリートでのびのび育ったネイマールをはじめとしたブラジルの選手は日本人選手と比べて足全体を鞭のように使って蹴ることができる。この差がワールドカップで出たわけです。
番組ではネイマールは楽しむことを忘れないことを強調。トーナメントで勝ち進んでいる現在でもこれを強調しています。
「これを楽しむものに如かず」という言葉が普及していた江戸時代の武術などでは楽しむことが重視されていましたが、軍国主義の時代になってその精神は忘れ去られてしまったのです。
そのような教育方法が間違ったものだと気が付かれて改革されるためには、ファンの叱声が必須なのです。
そしてこれは広い意味では、管理教育下でのガンバリズムが否定され、国際社会で通用しないことが白日の下にさらされているともいえる。
で書こうかと思って、煩雑になるのでやめたのですが、鰻の減少に絡めて、水産資源の保護について言えば、農水省は国際的に魚を捕り過ぎないために「GAMAN」という標語を広めようとしているとのこと。これは今日まで広まっている様子は全くありません。おそらく馬鹿にすらされているのではないかと感じています。
これは東洋の理念に従っていえば「知足」を本来なら広めるべきです。我慢をするのではなく、賢い漁獲方法に変えたり、ある(水産)資源を楽しむ方が、楽しく合理的であるからです。
なぜ農水省が「知足」を標語にできなかったといえば、それは日本が東洋の理念を捨ててきたからであり、立案した官僚の人たちが、自分たちは我慢して頑張ってきたんだ、それが良いことなんだ、という意識があるからなんだと思うんです。しかしそれでは世界には通用しません。
原発事故以降にわかりやすく顕著ですが、打ち出される政府の政策がキッチュでマッチョなガンバリズムの権化に陥っているのは、そもそもの立案する官僚の人たちがそのような人生を歩んできたからであり、そのような人生観であるからだといえます。
馬鹿としか言えない国土強靭化や、創造性のかけらもない第三の矢は、個の力が無く、決まりきったパスや連携しかできず、膝から下でボールを蹴る日本代表と全く同じ状況なのです。
東電の破綻処理は脱原発と並ぶ原発事故の処理の肝ですけど、それが出来ないのは、もちろん利権も大きいのでしょうけど、国の構造を変える大きな政策を打ち出すということが根本的に能力の欠如によってできないのだと思います。
サッカーの代表はその国の状態を表すといわれています。サッカーの教育の変革ができれば、この流れを変える突破口になるかもしれないのです。だから、何をやっているのだ!と私は日本代表を強く叱責したいと思います。
続いてはラジオでは、かつて卵をぶつけられた城について。「笑っているように見えたんだろう」と吉田さんはいっていましたけど、笑っていたのは確かなことです。
パックンはアメリカでもブーイングはすごいけど、わざわざ空港に言ってブーイングすることはない、とのことですけど、一国で完結するアメリカはドメスティックで、野球に本格的な国際試合が無いだけでしょう。
そこで分けるというのは説得力がありません。無理やり違うといっているに過ぎないのではないでしょうか。日本である程度スポーツの観客が厳しくなったのには、アメリカの観客が厳しいことの影響があると思います。
「日本人女性が金銀獲得 若手登竜門の米バレエコンクール」(http://www.asahi.com/articles/ASG6X32C1G6XUHBI00H.html)は素晴らしいと褒めたたえられると同時に、観客が少ない歪な日本のバレエ界の構造も指摘されています。
そもそもこういう場に出席するというのは社交界的であって、そういう歪な貴族主義のようなものが日本にとりあえず存在しないことは悪いことではないといえます。
何はともあれ一番必要で実のある改善策は日本人が日本人のためにバレエを作ることだと思います。作曲家の人たちにはこのようなところに精力を注いでほしいところ。
そういった所から日本らしい展開をみせられれば、バレエも根付いていくといえるのではないでしょうか。
「捕鯨の現在 川端裕人さんが選ぶ本」(http://book.asahi.com/reviews/column/2014061700009.html)では調査捕鯨が日本の伝統的なクジラ漁を圧迫して危機に陥れていることをレポート。
このような重要な論点が、テレビの電波はおろか、メディアで取り上げられることもまずありません。
「あす憲法解釈の見直しを閣議決定へ」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=38938)は当日は報道量が増えましたけど、その日にやっても意味はありません。
間に合わなくなる前に、流れができるまでに報道しなければいけない、というのがメディアの戦後の反省でしたが、問題問題で同じことを繰り返してばかりいるのではないでしょうか。
「集団的自衛権:米政府、歓迎声明を発表 中韓は関心高く」(http://mainichi.jp/select/news/20140702k0000m030153000c.html)や
「米ケネディ大使 「閣議決定を歓迎し支持」」(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140702/t10015670171000.html)ということで、アメリカには自分たちを平和の使者だと思っている人がいるように思うのですけど、自分たちのごり押しで平和憲法が葬りさられようとしていることを、自分たちの問題の中心に据えてほしいと思います。
アメリカの大使のような人物の憲法に対する認識がこの程度だということもよくわかります。
3日の新聞なども大きく取り上げているようですが、アメリカに直接抗議する記事が無いですよね。これは一番といって良いくらい重要なのに読んだことがありません。ここが本当にアンタッチャブルということなのでしょう。
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