室井さんは「勝の会」なる教え子による飲み会に参加したとのこと。
この日はそもそも予定が違ったそうですが、集団的自衛権について。
すべての地裁で訴えて係争中にということにすれば、先に進まないとのこと。
メディアは「ひっくり返す手段を提示しない。」とのこと。
そもそもは立憲主義の否定でそれは民主主義の否定でもあるわけですが、「メディアが嘘を流」して、細かい議論にしようとしている。とても悪辣だ、とのこと。
司法が蔑ろにされている、とのことで、室井さんは、誰がリーダーとして立ち上がれば司法がまとまるのか、と質問するのですが、金子さんいわく、リーダーがリーダーに対峙する、という形ではなくて地方から無名の人たちが働きかける必要があるとのこと。
私はリーダーシップは大切だと思うんですけどね。職責や顔役の立場に応じた義務・責任は当然ありますからね。
そういったものが市民の側のエネルギー・見識と上手く合わさればベストでしょう。
草莽崛起という感じなのだと思いますけど、それは必要とはいえ、そちら側からだけでは寂しい。
戦前・戦中を振り返って、市民や国民性が論点になることが多々ありましたが、軍部の出世欲など、リーダーの資質の欠如が大惨事を起こしています。
そのちょっとした決断。市民がしゃかりきになってやっても、リーダーの資質の欠如の埋め合わせをするにはひどく届かない時がある。
戦後は一億総懺悔をしてナショナリズムを封印して歪めただけで、リーダーシップを取るための教育で、失敗を踏まえた改革が行われなかったのではないか、などとも思いますね。
そういう点で言うと、何か市民ばかりが戦後に論点になっていて、偏ったものも感じます。
その裏の荒川強啓さんのニュースでは
「国会の前で集団的自衛権に反対している人たちをみると中韓のスパイにみえる」
「中国が力を伸ばしている現状ではしかたが無い」
「集団的自衛権の行使容認が危険だというのは朝日新聞が部数を伸ばすためのキャンペーンだ」
といった聴取者からのお便りを放送。
この日のコメンテーターの宮台真司さんは「へそで茶を沸かす」「集団的自衛権と個別的自衛権の区別がついていない」と当然ながら一蹴。
天皇を尊崇する核武装論者の右派論客として鳴らした宮台さんに言わせても論外ということです。
ただ思い返せば荒川さんはあまり発言していなかった。裏の吉田さんの番組とのバランスでこういった人を聴取層として意識してしまっているのではないですかね?
それ以前の問題ですが、立憲主義云々の話しも全く伝わっていないのがわかります。聴取者の方々には、頼むので頭を使ってほしい、と願うばかりです。
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