「スコットランド独立否決も「自治権拡大」へ」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=39756)で萱野稔人さんが説明するには、欧州各国で裕福な地域がほかの地域に福祉を回したくないといった理由で独立したがってる例が相次いでいるとのこと。
他の所にお金を渡したくないということで、ブルネイやシンガポールやカタールのように局所的に儲かる地域だけになっていく雰囲気。
新自由主義は新自由主義でも、このまえの遠藤教授のいうような弱者による抗議というよりは、民族運動の表皮をまとった強者による囲い込みが本質のようですね。
お金を価値の基準に据えたが故の分裂が際限なく起ころうとしているようです。
22日のくにまるジャパンには「神と肉: 日本の動物供犠」 (平凡社新書) を出版した原田信男教授が登場。
奈良時代の肉食禁止令に触れて、禁止ということではなく、殺すと「良くないことがあるよ。」という意味だったと解説。
これはいつも祟りがどうとかといった側面から解釈されますけど、生類憐みの令的な側面が見逃されてきたのではないですかね。国分寺などの仏教によっていさかいを収める人権政策の一種、国造りの中の一環と捉えることができます。
米が日本人の力の源泉だった。大蔵省主税局の主税の「ちから」という読みにそれが表れている。
生贄というのは肉より植物性たんぱく質を優先したということ。
しかし飢餓になるとやはり仕方が無く肉を食べるようになる。法然や親鸞が肉食を認めたのは中世の飢餓が背景にあったとのこと。そういった悪人こそが救われる、という教義だった、とのこと。
人にも個人にも時代にも革新的な部分と保守的な部分がある。
明治天皇が肉食をすることに抗議をして、山伏が皇居に乱入して殺されたとのこと。
最近は江戸時代に盛んだった肉食の研究が進んでいて、これもあくまで時代の一側面にすぎないことがわかります。保守的なある部分が突出した事件と理解することができるでしょう。
「調査捕鯨「先延ばし」案を提出」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=39717)はラジオによると、調査捕鯨といって実際に何も学術的な調査を行わないでただ捕ってるというのは日本だけだとのこと。
捕鯨はそのままただの農水省の利権であって、農林水産省は利権が欲しいのだから、他にお金を回すのが嫌なのだと思います。
そしてメディアは捕鯨を国民の意志であるとする一点張りで、この構造を報じないのです。
戦前に戦争をおこなったのは国民の意志だったとして総懺悔させて、国が個々の出世欲など利権のために仕掛けて失敗したことを覆い隠したのに相当します。何も仕組みを変えていないのです。
「捕鯨再開、延期求め決議 IWC可決 実施なら批判必至」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11357451.html)では国側の南極まで行って捕鯨をする理由が貧弱であることがわかります。
記事最後にはちょろっと、予算を出し続けてよいのか云々と。
記者クラブメディアの表現として、これくらいが限界だということなのでしょう。
一方で21日のサンデーモーニングでは涌井雅之氏が、クジラは生態系の頂点であり、それが何を食べているかで生態系を把握することができる。調査捕鯨は必要である、と提言。
こちらでは調査をしている、ということになっていますね。
サンデーモーニングの「風をよむ」は李香蘭特集。戦後に戦争はいけないといい続けたそうですが、特に責任も問わずに、軍部の残党ひしめく自民党で議員をやっていたのですから、出演に悔いたというのすら怪しい。戦後に戦争協力をしていた「知識人」たちが一斉に「だまされた!」といったのと本質的に変わらないでしょう。雰囲気だけの反戦で世渡りをしてきたのではないかという印象があります。
小泉でさえ「私は戦争反対だ」といっていたのですから、そういう気分的なものだったのではないかと思います。
しっかり責任と因果関係に踏み込んで議論をしない人間は、反戦とは言えないのです。
岸井氏は歴史認識についてコメント。
満州事変、盧溝橋事件、シナ事変、柳条湖事件、日本では事件といっているが中国から見ると侵略だ。相手に気持ちにならなければいけない。といっていましたが、別に中国側から見なくともウソだらけの侵略です。それを中国側が言うから・・・といった欺瞞に満ちた歪め方をするからおかしくなるのではないか。ここでもネット右翼と議論の土台を共有しているのが観察できます。
また、相手を気遣わない理由として、日本は一度も植民地になったことが無い珍しい国だから、といっていましたが、これはおかしな表現だと思うんですよね。太平洋戦争に負けて占領されています。
敗戦の「終戦」への言いかえなどと連動した、敗戦を大したことのないかのように見せかけるかのような、嘘の言説ではないか。
それは(歪なナショナリズムと結びつく形で計られた)責任を持つ層の責任逃れであって、福島第一原発の事故の処理にも同じことが観察できます。
久米さんのラジオのゲストは泊原発の差し止め訴訟の代表の一人でもある地理学者の小野有五さん。
いろいろな圧力が来るらしく、ほとんどは伏せましたが、学生の就職が一番困るとのこと。うちに来る人は就職はあきらめてくれということを学生に最初から言うそうです。
なかなかこういう細部の綾は現場の人にきかないと分からないものです。「原発ホワイトアウト」も大学教授の職の斡旋を通じて電力会社が政治家を牛耳っていくところが印象的でしたが、原子力複合体の中でも「学」の部分は影に日向に複合体の主な建築資材になっているのだな、ということがわかります。
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