パリで大規模行進、世界の首脳が参加 仏紙襲撃

#その他文化活動

8日の朝のラジオでは孫崎亨さんが乱射事件に触れ、その前の風刺について、自由と言って人を傷つけるのはどうなのかと疑問を。

この風刺画の内容は想像以上に酷いみたいですね。テレビでは出てこないみたいなので、知らないと認識が全く変わってしまうでしょう。

フランスでは10万人規模の大規模抗議集会をやっていますが、これをみると萎えますよね。

自由は大切ですけど、自由に固執してやや原理主義的になっている雰囲気も。

こちらは東洋的自由ですけど、空執といった状態に近いですね。

現地の人のインタヴューを聞くと、宗教戦争のようだという声も。こういう考えの中でマララさんなども担がれがちというのはあるのだと思います。

ただフランスの報道ではこれはイスラム本来の教えではないということが思った以上にしつこく出てきますね。

モーニングバードでは玉川さんが、これは新しい戦争なのではないか、ということを言っていましましたけど、それは本当にそうです。

核の小型化などもあって、21世紀の戦争は正規軍同士の戦いというのではなくて、テロの形で行われるでしょう。

外交による安全保障もそれを見据えて早めに形態を変化させねばなりません。

これこそ力で潰せばよいという考えでは泥沼に陥ります。

9日のとべさるのサヘルさんはテロについて。宗教を道連れにするのはやめてほしい、というお話。

犯人は、せめて自分のためにやったというべきだと思います。これでは逆にイスラム教徒を道連れにした自爆テロをやろうとしているようにみえます。

9日の報ステでは寺島実郎氏がコメント。

中東で日本は尊敬されている。中東に武器を売ったことも無ければ、宗教的にも中立で、紛争に介入したこともない。中東での日本の中立的な立場は貴重なものだということを説明。

しかし、実質有志連合を非軍事的に支えているではないか、武器輸出の基準も変わってきているではないか、と古舘さんに突っ込まれると

「自分たちの立場を説明しなくちゃいけない」とコメント。

説明してもダメなものは駄目です。これは安倍の好きな論理(?)展開です。原子力ムラはどこも変わりません。

12日の大竹さんのラジオでは、阿川さんが「デモをしている人たちは風刺画を肯定する人たちなの」と疑問的なニュアンス。

自由のためのデモ、というといかにもきれいですが、風刺画への肯定とデモは切り離せません。

自分たちの宗教があのように扱われたらどうだろうかという例を阿川さんはいくつか挙げていました。

「十字軍以来の」という言葉もおっしゃっていましたが、そういう西洋の昔からの部分もあるのでしょうかね。

「風刺というのはちょっとみんなで笑っちゃおうという裏返しの文化」という大竹さん。今回のは厳密には風刺とは呼べないのかもしれませんね。

アメリカにはフランスから送られた自由の女神がありますし、フランス系アメリカ人は多いです。若干アメリカの悪自由みたいなものと似たものがのぞいた事件であったとはいえるでしょう。

みんな「自分たちの血で勝ち取った自由だ」といって行進していましたけど、歴史学的には、バスティーユ監獄襲撃の時点で誰も王政を倒そうなどとは思っておらず、王政が倒れたのは弾みだったとのこと。

戦争・反乱で死んだ人たちや、断頭台に送られたたくさんの人の血も自由のためと言って総括できるものなのか疑問が残ります。

これを考えれば、特に日本の明治維新がフランスと比べて、自由に至るプロセスとして特殊ではないと思うんですよね。こちらも先に反乱ありきで結果は弾みですから。

フランスと違って上から与えられた自由だ、と常に言われますけど、そのような違いがあるとは思いません。

司馬遼太郎さんは明治維新を「武士の自決」というようなあらわしかたをしていました。対談で、明治維新に革命という言葉を使いたいので何とかならないかということを歴史家に対して結構粘り強く言っているのですが、階級闘争じゃないので駄目だと一線は譲られず。こういう表現になったようです。

しかし、武士と百姓の中間身分のような人も多く、そうとは言い切れないでしょう。

今回の行進の後ろには「神話化されたフランス革命」が存在するのは間違いないでしょう。子孫たちはその現実と虚構の間で酔っているのではないかと思います。

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