「(匠の美)東大寺三月堂 沈黙の月光」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11957366.html)では
先日、和辻哲郎の『古寺巡礼』(筑摩書房、2012年、初出1919年)を読んでいて、はっとしたことがあった。次の一文である。
後世に現(あら)われた東大寺の勢力は「僧兵」に代表せられる。この偉大な伽藍(がらん)が焼き払われたのも、要するにこの勢力が自ら招いた当然の結果に過ぎまい。何故(なにゆえ)この大学が大学として開展を続けなかったのか。何故そこに精神的事業の力強い伝統が生きて行かなかったのか。
とある。何と厳しい歴史への眼差(まなざ)しだろう。
平和の宗教であるべき仏教。その根本道場でさえも、堕落を免れ得なかったというのだ。
とのことで、これはよく聞く説でもしかしたら主流の説とまで言えるのかもしれませんが、当時の状況で武装をしないで暮らすのは不可能です。もちろん行き過ぎもあったのかもしれませんが。
これは中世仏教に対する不当に低い評価と結びついていますので、現実を見据えた正当な評価を促すためにあえて強く抗議したいところです。
(ここでもやはり「刀狩り―武器を封印した民衆」(岩波新書 藤木 久志 (著))を読むと、中世において武装するとはどういうことなのか、ということに関する見識が深まります。そこから僧兵という存在の意義も自然に修正されるでしょう。)
それにこういった考えは自立自存の中で仏教が生きることを否定してしまうのではないだろうか。
現代において生きるものではなくなってしまう。仏教は古い遺物ではないのです。
コメント