「第 6 章 隣り合う若冲と蕪村―交差する交友関係」では
「金有声 筆 梅荘顕常 賛 滝山水・寿老人図 双幅 滝:紙本墨画 寿:紙本墨画淡彩江戸時代・宝暦 14 年(朝鮮・英祖 40 年、1764) 京都・両足院」は日本で特に評判が高かった朝鮮通信使の随行員の一人の絵。
しっかりとした質感のある壽老人で、巻物をぱぁっと開いた雰囲気が良く出ています。
「与謝蕪村、寺村百池 筆 蕪村・百池往復書簡 一幅 紙本墨書 江戸時代・18 世紀」はパトロンでもある弟子に対して、あまりよい句が無いと添削したもの。
「与謝蕪村 筆 渓山漁隠図 一幅 紙本淡彩 江戸時代・18 世紀 東京・サントリー美術館」は皺の付いた紙を下に引いて描いたものらしく、所々に複雑な白抜きが。いろいろ考えるものです。
現代のお絵かきソフトで特殊効果を選択する感覚に近いかもしれませんね。
最近は若冲の浮世での付き合いの資料がいろいろ発掘されて、オタクのイメージが覆されているとのこと。
錦市場再開のために尽力して、活躍しており、一時絵もほとんど描いていなかったそうでウィキペディアに詳しく載っています。なんか時代劇に出てきそうな事件なんですね。
横山さんや北原さんが食い倒れ出来るのも若冲のおかげです?!
そういうわけで商売人の若冲はお金持ちで絵具の質も特に良いのだそう。殿様の家系の酒井抱一などと同水準のようにみえます。キャンバス自体にしみがあったりはしますが、ほとんど劣化は感じられないくらい。
晩年に精力と資金をつぎ込んだ石峰寺の五百羅漢は伯珣照浩という中国出身の僧の菩提を弔うためだったとのこと。そういう中国渡来の人がいたんですね。
江戸ではあんまり聞かない気がしますのでそういう人がさりげなくいるのも京都ならではでしょうか。
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