「(耕論)安倍談話の歴史観 成田龍一さん、李元徳さん、久保亨さん」(http://www.asahi.com/articles/DA3S12009071.html)では司馬遼太郎さんを研究する成田龍一氏が寄稿。
ただ、そこには弱点もありました。司馬は、日本の近代化と国民国家化は成功だったが、その先で間違えたという二段階で考える。だが、近代化の過程で欧米とそっくりな国にしたために、日本は軍事的にも領土的にも拡大路線をとらざるをえなかった。司馬が成功と見なしたことが、実は失敗に直結していた。安倍談話も同じく二段階で捉えているから、司馬史観の弱点を引き継いでいるといえます。
とのことですが、いつも私が強調しているように、日本の「表面からみえる判断ベース」の史観にはそういうところがあるんですが、その判断を支える合理的な精神は実は、合理精神にあふれていた江戸時代が終り、明治以降以降急速な下り坂を常に転がりつづけていたというのが司馬史観の真骨頂なのです。
根底的には「日本の近代化と国民国家化は成功だった」とは司馬遼太郎氏は考えていませんでした。
「二段階」というのは司馬史観の表面的な捉え方であって、司馬史観の本質は「一段階」なのです。
(ただその表面的な意見は、戦前を輝かしく描いた作家としての社会的位置取りからか、本人が強調していたことでもあったと思いますが。)
専門家が、未だに司馬史観が二段階であるという浅い理解をこのようなところで語るのは極めて残念です。
司馬遼太郎さんの研究家が現代に提言をするなら「明治以後に江戸期を捨てたことに、日本の不幸があったのではないでしょうか」(未公開講演録愛蔵版Ⅳ 212ページ)と強調していたことをこういった所で折に触れて書いて欲しいですね。それが彼が優れた洞察で残した処方箋なのですから。
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