東京国立博物館 特別展「始皇帝と大兵馬俑」 その3

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「「工ちょう」鼎 1合 戦国時代・前313年 鳳翔県高荘村1号墓出土 陝西省考古研究院」も珍しくも鍍金された豪華品ながら実用品だったとのこと。

日本の縄文土器もあれで実用品でしたし、結構使うんですね。

「鍍金貝象嵌帯鉤 1本 戦国時代・前3世紀 西安市未央区尤家荘20号墓出土 西安博物院」は豪華な帯留め。珍しい出品です。

帯はモンゴル人や日本人はするけど中国人はしない、と司馬遼太郎さんはモンゴル語学科で習ったといい、氏の日本はアジア(中国文化圏)じゃない、という議論の根拠の一つになっていますが、中国での帯の話はぐぐると一筋縄ではいかない感じですね。

ほかにも「草原文化の要素が他国より濃厚に含まれている」のが秦の特徴らしく「馬上で扱いやすい短剣」などもその一つだというのですが、日本では馬上で構える太刀はものすごく大きいので、ここら辺はどうなっているのかな、と思います。戦い方の違いでしょうか。

こういう騎馬戦法は趙が取り入れた「胡服騎射」の故事が有名ですが、秦もそうだったのかな、と疑問を持ちつつカタログを読んでいると、趙が取り入れた騎馬民族的な戦い方はすでに中国全体に共有されていたといったようなニュアンス。

それが波及してきたものなのか、それとも秦は別個に西戎から影響を受けたのでしょうか。

このように、遊牧民の文化を受け継いだ王朝としての秦がクローズアップされていました。
ダレイオス1世の真似をしていただけの可能性がある(そういわれると秦はペルシアに近いですよね)、とか秦の始皇帝には厳しい杉山正明氏ですが、いづれ拓跋国家的(遊牧国家的)な括りに秦が編入される日も近いかも?

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