「(異才面談)舞踊家・田中泯さん 「ここが中心」地方に誇り持て 振り返らせる「引力」欲しい」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11784584.html)はいろいろ示唆的な内容。
「だれもが、中心としての大都市があると思っている。政治や経済の中心が大都市にあるためでしょうが、そういう考え方が習慣になっているだけです。実態よりも、人々の意識が問題。自分の生きる場所を『地方』と考えることで、『中央』にすでに引け目を感じているのでは、ないでしょうか」
はわたしが
東京藝術大学大学美術館 日中国交正常化40周年記念 特別展「草原の王朝 契丹 ―美しき3人のプリンセス―」 その8
行って参りました。この前ふしぎ発見でやっていたこの展覧会にちなんだ特集が面白かったというのもあって、なかなか楽しみでした。「疾駆する草原の征服者―遼 西夏 金 元 中国の歴史 (08) 」(杉山 正明 (著))では、 牧畜と定住のハ...
で批判した内容とかぶるもの。
司馬遼太郎さんの思想――――特にその中でも内包していて気が付かれないようなものほど――――時代の精神を体現しているんですよね。
「出て行った人たちが『(地方こそが)実は中心だったんだ』と思える引力です。文化は、その重要な要素になり得ます。」
というのは、地方創生は文化でしかありえないということを言っていた、デービッド・アトキンソンさんの話し
404 NOT FOUND | 社会通鑑~See through the media&society~
と響き合う所です。
金子勝さんは藻谷浩介さんの「デフレの正体」を批判しますけど、それは多分正しいんですけど、氏の本体である文化による地方創生を取り上げないのはどういうことか。著作でも無視ですよね。
ほかでもわき道で揚げ足を取って、本論を無視する、ということは結構ある人のように思います。やっぱり評論家的なんだと思います。
これも「バリア」で跳ね返せるところだけ跳ね返して後は無視、という一つの例ですよね。
金子さんの主張を読んでいると文化軽視が甚だしく感じる。突っ込んだ見方をすると、だからそれが主役になるような手法は無視するしかないのだと思う。
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