(http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2015121000001.html)では原発事故当時マスコミに対して市民が「不信を感じ」「首を傾げた」とありますが、不信ではなく情報隠蔽や不作為・癒着を糾弾したのです。
不信があっただけである、だけであるという悪質な記憶の書き換えが行われています。記者が使う不信という言葉の前段には当然(正しかったのに)という意味が前提としてあります。
SPEEDI隠しやメルトダウン隠しを筆頭に、御用学者ばかりを起用していましたが、どこも嘘ばかりで再掲するのも手間なので、事故当時の私の記事を読んでもらいたい。今はネットで記録が留められる時代なのです。大手メディアによる記憶の書き換えが有効な部分は限られます。
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