「(耕論)日韓「愛国」の圧力 小倉紀蔵さん、趙景達さん」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11418294.html)は日韓の学者がそれぞれの国について述べた、対照が面白い論考。
特徴はどちらも近世の社会はあちらの国は硬直していて自国は緩かった、と主張していること。
「朝鮮王朝の身分制が緩やかだった」と趙さんは主張しており、司馬遼太郎さんなどが言っていたような、韓国は儒教のもとに社会体制が硬直していたから人材が出ずに日本に植民地化されたのだ、という価値観を覆します。
ファンの方は不満かもしれませんが、司馬遼太郎さんはやはりアジア蔑視の考えが非常に強かったと思います。
講演録などを読むとあからさまなんですが、それは小説・随筆では表面的に温かさを装った隠れた構造になっていて、そのことが逆に日本全体にその思想を浸透させ、解毒するにも面倒なことにしていると思います。(そしてそれは、戦後の日本人のアジアに対する態度と不思議なほどに一致しているのではないでしょうか)
福沢諭吉への高い評価もその文脈の中で理解できます。(新聞では小説での「軽薄才子」という表現を引いてあんまり評価していなかったとしていましたが、随筆では「「明治」という国家」などをはじめとしてとても評価が高いです。その評価をもとに論考を組み立てなければならないので、より随筆のほうが本音的だと考えられます。)
そのアジア蔑視の大義・根拠は儒教蔑視(日本だけ変に例外化している
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)なのですが、その儒教に対する認識そのものが大きく間違っています。
趙さんが言っている通り、儒教は「仁義礼智信」が根本ですから、たしかにそのまま実行すれば寛容な国になるのが道理なんですよね。
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