ちなみに「「自立した個人」を再考 生誕100年、丸山真男シンポ」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11231180.html)には
「民主化運動が弾圧された天安門事件後、中国人は政治に無関心になり、金銭的利益を追求する傾向がみられると分析。「人々は社会の不公平を嘆きながら、自主的に秩序をつくる精神が欠如している」。その底流に、儒学の仁政を理想として、政治は上から与えられるものとする思考様式があると指摘した。」
とありますが、この記事に書かれている歴史的な事実から言えば滅茶苦茶な妄想であることがわかります。
「西太后―大清帝国最後の光芒 (中公新書)加藤 徹 (著)」にも中国では世論こそ錦の御旗であった。中国では錦の御旗は下からくるものだった。ということが書かれています。
日韓問わず、一揆なども儒教の思想が裏付けになっていたことが今の研究では知られています。
しかし戦後の日本では儒教のせいだといえば、そうだそうだ!と調べもしないで共感する輪が広がったのでしょう。そうしてそういった流れは現在まで続いています。(西洋の民主主義、東洋の専制というオリエンタリズムに論旨を適合させている点も見逃せません。)
一見表面的には丸山眞男を批判をしているような学者でも、そういった部分は強く受け継いでいる人も多いのです。
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