12月27日 林修の今でしょ!講座 2時間SP その4

「峠」にはまったく出てこなかった視点ですが、山田方谷が残した藩政に関する方針を読みますと、あくまで二人とも経世済民という儒教の立場に立って藩政というものを考えていたといえます。

そういう点からも「三井の番頭」はあり得ないだろうと考えます。

当時の町人は家訓などをみているとやはり儒教・仏教などを商売・人生の柱にし、生かしていましたが、司馬遼太郎さんが語る「町人」にはそのような側面は出てきません。
なのでここでの「町人」はおそらく儒教のような思想ではない、という戦後の商業主義の発想に寄せて言葉を作っているのでしょう。読者もそう受け取っているはず。

「侍」は経済音痴の固陋な思想的人間という意味で使われているのでしょう。
最近は武士の経済官僚の優秀さなども研究で明らかになってきており、武士と経済音痴は結びつかなくなっています。

中野三敏さんによると「そろばん侍」は経済官僚であって、江戸時代でも一番偉かったのだそう。

伝統的な思想から出てくる資本主義。いはばモラル資本主義。これが方谷の思想の中心にあります。
この司馬遼太郎さんが粉飾して捻じ曲げた部分こそが、今の日本に最も欠けている、最も必要なものだと私は考えるのです。それこそが良質な社会のみならず、経済的な繁栄にも必ず必要なものだと断言できます。

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