加計問題の内部告発者、処分の可能性 義家副大臣が示唆 その2

#その他文化活動

ちなみに不良というと社会に対して物申す的に扱われていて、義家氏もそういう息苦しい社会からはみでてしまったという「ストーリー」で社会で人気になりましたが、心理学的に言うと真実は違う所にあります。

不良になるというのはドロップアウトした人間が、そのままだと不安なので、不良という型に自分を入れ込むことによって安心する行為であるといわれます。

つまり型にはまったことが大好き。「記号」的存在であり「保守」こそが不良の本質なのです。口でうだうだ言っているのでごまかされてしまいがちですが。
彼らの「文化」はそうした本質を目くらましさせるためのものなのでしょう。
震災時の「ロック」文化の体たらくなどをみていてもよくわかりますよね。

誠実性、リベラリズムという観点から言うともっともかけ離れているのが不良といわれている人たちです。

ただうまくいっている人たちの中でも、同じような境遇に置かれた場合同じような「それ方」をする人は多いわけです。

(同じような資質を持っていながらうまくいっているような人は、やはり外的な「記号」に自分の価値を見出しがち。たとえば「社会心理学的なアクセサリー」を纏うタイプの人たちはこういう「ヤンキー」と通底したものをもっているといえます。)

結局必要なのは、そういう悪しきそれ方を根本からしない人間的な力、それを育む文化力なのです。

(ちなみに仏教の真髄である無という言葉は「脱記号」という意味です。生硬な記号性の解体こそが仏教の真髄です。つまりは仏教の本質無くして、道徳はあり得ず、それに立脚した健全な社会も成り立ちえないということです。)

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