一行は井伊家の文物を保存する井伊美術館では明智光秀の脇差を拝見。これは本当に保存状態が良いですね。
磯田道史氏は明智光秀の家臣の木俣守勝の動きに注目。もともと徳川家の家臣だったのが本能寺の変の一年前に再び徳川家に戻ったとのこと。
光秀は守勝を通じて武田家とコネクションがありそれで光秀は信長に内通を疑われた可能性があるのではないかとのこと。
ということは徳川方に再仕官したのは旧武田家の家臣の接収のための計画的な出張だったということでしょうか。
やっぱりこういうのは旧武田家臣団を召し抱えた井伊家にあるんですね。
信長の遺体は本能寺の変の後に寺の中の藪で燃やされたという説でしたけどそのようなことができたのでしょうか。
鴬張りが泥棒避けではないというのは知らなかったですね。
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