では清正の足跡からこのような耐震性を持ったお城を築城するに至る理由を調査。
まず安土城は石垣が水平に積まれていてこういった工夫がまるでないらしい。
お城というと古典的で完成しきったようなものに思いますけど短い期間で驚くべき進化を遂げています。そもそも信長から始まった感じですからね。
清正の築城した城を見て行くと、肥前名護屋城は遺構が残っておらず。
取材陣は清正が築いた朝鮮の西生浦倭城を現地調査。
本当にまだ残っている。やっぱり初めて観るものというのは新鮮ですね。
研究者も初めて見たと感動されているようですね。
今中高年をターゲットにした番組が増えており各社お城の番組は飽和状態だ。どこか朝鮮のお城シリーズを組んでやってくれないものだろうか。
しかし武者返しは施されておらず。
近くの蔚山倭城を描いた「蔚山籠城図屏風」を見てもただ斜めですからね。
調査によると全国のお城の形状が慶長伏見地震を境に変わっており、熊本城はその最初の城とのこと。
慶長伏見地震を経験した清正や城造りの集団が工夫をしたのではないかとのこと。
Wikipediaには当時清正は大坂にいたと推定されていて慶長伏見地震は経験していないようですね。
施主に過ぎないとも思われる清正を追っていって築城の秘密がわかるのかなとも思ったのですが、やはり当時の築城集団が慶長伏見地震で気が付いたんでしょうね。
こういった研究の所々に挟まるのは熊本市民と熊本城や清正との絆。
しかし率直に言えば清正のWikipediaの文禄慶長の役当時の領民に対する取り立ては苛烈を極めていますがなんでこんなに親しまれているのでしょうか。
それ以外がそれを上回るほど良かったということなのだろうか。
NHKは復興のために石垣を照合するソフトを開発。これは役に立ちそうですけど、石垣が欠けていないかというのが心配ですよね。ちょっと欠けていただけで全体のバランスに致命的な影響をもたらしますからね。また欠けていたのが分かったとしてどのように修復する方針なのだろうか。
しかし今回も清正時代の石垣にも壊れたところはあったし、江戸時代から城は何度も地震で壊れてきたらしい。
それを克服すべくお城の進化はさらに止まらず三代熊本藩主細川忠利は斜めに配置する石をさらに大きくして摩擦抵抗を増していたらしい。
さらに避難所を作り人命を最優先するべしとの申しつけを出していたとのこと。慈悲というのか仁愛というのか江戸時代の心といえるでしょう。
番組最後は耐震を優先する大林組に文化関連の人たちが寄り添う話。江戸時代から積み直してきたのですから同じ方法で積み直せばよいんじゃないですかね?手作業はしない感じなのか。ただ積み直さなくていい所の積み直しは本当に控えて欲しいですよね。
栗石対策のシートを敷くのも決まった模様。他のところでは樹脂のシートを敷くとありましたけど、何とか伝統素材で代替できたりしないんでかね?それができればお城の進歩の歴史にまた一つ足跡を刻むことすらできるのではないかと思うのです。
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