史実に戻って、総大将毛利輝元のやる気のなさを目の当たりにした立花宗茂は九州に帰還。改易の憂き目に。
その後宗茂が大名に復帰できたのは家臣のためにも大名に復帰しようという意志が強かったからとのこと。
養子でアウェイだったので家臣を大切にして味方にすることを覚えたらしい。
それはもちろん一緒に討ち死にをしてもらうためでもあったはずで、愛情深い大名だったのは確かなんでしょうけどなんか怖い愛情だ。
ご子孫は「領民の幸せを第一の義とせよ」という宗茂の家訓に基づいて地元柳川で旅館を営まれているとのこと。ちょっと中国の水郷を思わせるような良い所ですね。
女性当主は何となく宗茂に顔が似ている感じです。こういう名家は肖像画の当主の顔を保存しようという意思が家系の中で働いているような気が常々しています。
父の仇の島津義弘と仲良くなった不思議について、中野氏は柔軟性だと言い、磯田氏は近世武士は自分の父親を討ち取ったほどの侍とは仲良くしなければと思うものなんです、と解説。
ただ、宗茂の家中からも関ケ原から帰る道すがら復讐するべきだという声が上がったというので磯田氏くらいまで言い切って良いものか。この時代の武士の中にはそれぞれ生まれた家の中で義を尽くすのみだと思っていた人たちがいて宗茂もその一人だったということなのではないか。つまり義弘も宗茂も立場なりにしっかりやったということを分かり合っていたのではないでしょうか。
旧領復帰について萱野稔人氏は忠義を尽くせば出世できるんだということを示すことができて徳川家にとってもプラスだったと解説。
これは大坂の陣の秀忠参謀としての働きが非常に大きかったのと、意外ともともと地位の大きな人は復活しやすかった時代性もあると思います。私は島津家が残ったのも名家だったからだと思っているんですよね。
寝床での言葉を部下の部下まで知っている位情報共有を大切にしていたらしく、その情報共有と部下を大事にする精神が立花家の強さの秘密だと宗茂の言葉を引用しつつ磯田氏。
他藩には全くないもので、立花家には合戦で死んだ人のリストがあって毎日供養をしていると磯田氏。
天然の国立墓苑のような・・・。
情報公開の大切さを磯田氏は強調して〆。
最後に、歴史修正主義者である加来耕三氏を出すこの番組に強く抗議します。
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