は加賀藩の礎を築いた前田利常について。
No.2として文化を発展させる道を選んだのが戦後の日本にも似ているとのこと。
当時の文化は今と違って殖産工業に近い、と飯田氏。
選択は徳川家に疑われたので申し開きをしに行くか城に引きこもるかの二択ですけど伊達政宗の例ですとか出ていって話せばなんとかなるということが前例としてあるので出ていくしかないでしょう。
本多政重は改めて調べましたけど複雑な人物ですね。
武士の家計簿は加賀藩の話であって、磯田氏にとっても縁の深い藩のようです。
改作法はWikipediaに書いてあるものを読むと番組で紹介されたよりずっと苛烈ですね。地域の英雄を批判するわけにはいかないといった感じでマイルドな紹介の仕方にしたのでしょうか。
一向一揆で難治の地だったので御算用者やこういう定免制のようなものが発達したとのこと。
徳川の平和は徳川家と前田家の二人三脚だったと磯田氏。
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